昨年11月に公開され、古くからのクイーン・ファンを熱くさせたのみならず新しいファンをも生み出し、日本での興収130億円超、世界興収9億365万ドル(900億円超)のメガ・ヒットを記録した『ボヘミアン・ラプソディ』。そんな同作を手掛けたデクスター・フレッチャー監督が次作に選んだのが、エルトン・ジョンの半生を描いた『ロケットマン』だ。
どうしても『ボヘミアン・ラプソディ』と比べて観てしまう
観る前に抱いたのは“果たして『ロケットマン』は『ボヘミアン・ラプソディ』を飛び越えることが出来るのか?”といった少しばかり歪んだ期待。あちらはフレディ・マーキュリーを主人公にしているもののクイーンでグループ、こちらはエルトン・ジョンでソロ・アーティスト。それを鑑みずとも両作を比較して観るなんて間違っているのかもしれないが、どちらもロック史を語るうえで欠かすことのできないイギリス出身の超大物だし、70年代にスターダムを駆け上がって現在も大活躍しているし、劇中にも登場するマネージャーだったジョン・リードは両方のマネージメントを手掛けていたわけだし……なんてところから、こうした目線でもって鑑賞してしまったわけだ。
外へ前へと向かうフレディ 内へ内へと突き進むエルトン
で、ここでいきなり率直な感想を述べさせていただくと、飛び越えてはいない。というより、飛んでいこうとする方向がまったくもって違っていると言ったほうが正しいか。『ボヘミアン・ラプソディ』は波乱万丈ではあったものの、まさに「ドント・ストップ・ミー・ナウ」を地でゆくフレディの外へ前へと向かっていく姿勢、最後で待ち受ける大合唱必至のライヴエイドの再現でアゲにアゲまくって幕を閉じる。『ロケットマン』は、エルトンが内へ内へと向かって突き進んで悶々とした果てに大爆発する内省的エンタテインメントに仕上がっていて、そこがきちんと魅力になっており愛すべき部分となっている作品なのだ。