昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

500試合登板達成 プロ17年目の39歳、楽天・久保裕也が語った「忘れらないあの試合」

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/09/20

「チャンスをもらった限りは、腕がちぎれてもいいと思って投げています」

 NPB史上101人目となる500試合登板を達成した試合後、こう話したのはプロ17年目・久保裕也選手だった。一度は戦力外になったプロ野球の世界。テスト入団で合格し、楽天イーグルスに来て3年目。福岡出身、松坂世代の熱き野球人である。

 またラジオインタビューでは、好きなお菓子は「キャベツ太郎の濃い部分」とか、好きなスイーツは「宮城県富谷市にあるニンナナンナのレモンタルト」など、野球と関係のない質問にも丁寧に応えてくれる久保選手。

 今回のコラムは500試合登板を達成した久保裕也選手の言葉をお届けしたい。

500試合登板を達成した久保裕也選手 ©RakutenEagles

自分の力だけでは成し得なかった500試合登板

河内「500試合登板を達成した今の率直な気持ちは?」

久保選手「400試合ちょっとで戦力外になり、楽天に拾ってもらってから、もう一回500試合を目指そうと思いました。1年1年の積み重ねで楽天に入ってから3年かかりましたけど、達成できてよかったです!」

河内「イーグルスにはテストで入団しましたが、その当時を振り返ると?」

久保選手「戦力外になってから、なかなか声が掛からなくて、このままいったら野球が出来なくなるなぁと思っていました。周りの人が色んな球団に声かけてくれたり、動いたりしてくれている中で、僕は家で連絡を待つ事しかしていませんでした」

河内「星野(仙一)さんの存在も大きかったのでしょうか?」

久保選手「周りの人が動いてくれているのに自分は連絡を待つだけというのはおかしいと思っていた時に、知り合いから星野さんが大阪で毎年パーティーをやっているという事を聞きました。自分はそこに勝負を賭けるしかなかったので、直接会いに行って『テストを受けさせてください』ってお願いしたんです」

河内「すごい行動力ですね!」

久保選手「星野さんも男気のある方なので、直接お願いをしに来るという心意気を買ってくれました。合否は別として『テスト受けさせてやるから、死ぬ気で練習してこい』と言われて、そこで死ぬ気で練習した事で入団できました。(500試合登板)達成できたのは星野さんに会いに行ったことがきっかけだと思うし、本当に感謝していますね」

 あの日あの時に起こした自らの行動が、今の自分を作っているということ。そして一度は育成契約になった後に再び支配下登録をつかんだ背景について、常に身体を整えてくれたトレーナーのみなさん、支えてくれたファンのみなさんのおかげです、と話していた久保選手。自分の力だけでは成し得なかった500試合登板だと感じている事が言葉の節々から感じ取れた。