文春オンライン

「がんになって初めて学んだのは“優しくする“こと」――大林宣彦が語る「理想の死のかたち」

映画監督・大林宣彦が語る「大往生」#2

note

がんになって初めて、学んだこと

 僕はがんになって初めて、「優しくする」ということを学びました。だから地球にとっていい患者になり、周囲に優しくすることを実践していきたい。自分は人としてまだまだ青二才だと思っていますから。

 理想の最期は、撮影現場で「スタート」と言った瞬間に、息絶えること。僕はそう思っていました。しかし実際は、映画を撮り始めると、編集してエンドマークを付けるまでは、決して死ねないと思うんです。がんが分かった時も、この映画を完成させるまでは死ねない、とお医者の先生に申し上げました。

「そうすると、映画を撮っている限り、いつまでも死なないね」と妻の恭子さんと笑って言っています。

ADVERTISEMENT

 定期的に血液検査を行っていますが、今の僕はがんよりも老化のほうが気になります。老いるということは経験のないことで、面白い。これまで出来ていたことが、1つ1つできなくなる。それでも、これまでと同じことをやろうと思えば、その誤差が新しい発見を生むから面白い。

 人間は、本来125歳まで生きることができると伝え聞きました。もし125歳まで生きるならば、僕は、あと30本は映画を撮らねば。

 若い俳優たちには、「君たちが爺さん婆さんになるまで見届ける」と言っています。彼らは冗談として受け止めているでしょうけど、まだ、僕に死ぬという発想はありません。

 ただ、命を失くした瞬間に、世の中からずばっと忘れ去られたい。その後は、僕の後を継いでくれる、まだ若い未来の表現者たちがいるからです。

大往生アンケート

■理想の最期とは?

 撮影現場で「スタート」と言った瞬間に息絶えたいと思っていましたが、映画を撮っている間は死ねません。(前文参照)

■心に残っている死に方をした人は?

 人は、亡くなる時に正体が出ると思います。いい人は大往生する。悪い人は、迷惑三昧をかけて死んでいく。僕は、人柄だけはよくしようと自分では心掛けています。結局無理であっても、僕は僕でしかあり得ないのですから。

■最後の晩餐で食べたいものは?

 映画プロデューサーであり、62年のパートナーである妻の恭子さんが作ってくれる日常の食事を、暖かい陽ざしの中で「美味しいね」と言って食べたい。

 僕は、日本中の故郷で映画を撮って来ました。その時お世話になった方々が今も応援団で、旬の食材を送ってくださるんです。

 恭子さんがそれを嬉しそうに料理する。我が家には、朝から晩まで、全国の旬の命が一緒に並んでいます。

 僕は商売のために映画を撮ったことはなく、今もお金はありませんが、「世界で1番の旬のものを頂いているね」と言っています。ありがたいことです。

■もし生まれ変われるとしたら?

 再び、映画作家になります。映画作家として、まだまだ出来ることがある。生まれ変わって一から映画作家になるのではなく、平和づくりに繋がる自由な表現を僕なりに見据えつつ、僕らしい映画作家振りを、若い人と共にいつまでも続けたいと思います。どうか、宜しくお願いします。

最新作『LABYRINTH OF CINEMA 海辺の映画館  キネマの玉手箱』は、本年10月にTIFF(東京国際映画祭)上映後、11月HIFF(広島国際映画祭)上映、その後戦後75周年にあたる来年春以降に劇場公開です。

佐藤愛子(作家)・渡邉恒雄(読売新聞主筆)・中村仁一(医師)・外山滋比古(英文学者)・酒井雄哉(天台宗大阿闍梨)・やなせたかし(漫画家)・小野田寛郎(小野田自然塾理事長)・内海桂子(芸人・漫才師)・金子兜太(俳人)・橋田寿賀子(脚本家)・出口治明(大学学長)・高田明(ジャパネットたかた創業者)・大林宣彦(映画監督)・柳田邦男(ノンフィクション作家)生を達観した14人へのインタビューは『私の大往生』(文春新書)に収録されています。

私の大往生 (文春新書)

 

文藝春秋

2019年8月20日 発売

「がんになって初めて学んだのは“優しくする“こと」――大林宣彦が語る「理想の死のかたち」

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー