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変わった人という雰囲気は一生変わらない?

――思い返す中で、ここは特にしんどかったという所は?

山口 それは未来が見えなくて「心中しようかな」ということをウツで病みながら本気で考えていた事を思い出したときですね。あの頃、未来を絶望する要素をいっぱい自分で探してしまった。そのときの絶望感というのがよみがえってきた時が一番つらかった。

 

――心中しようって思ってしまったのは、いつ頃ですか?

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山口 娘が2歳7か月のときに広汎性発達障害と診断されて、しばらくはなんとかしようと療育とか色々なところに通っていた中で、生活自体は落ち着いていたんですね。医師や保育士に適切な対応を教えてもらったことで、娘のパニックも減って、育児そのものは楽になったんですけど、でも今度は私が診断名に押しつぶされてしまった。まぁ私の悪い癖で、ネットで色々と調べてしまうものですから、保育園に入る前の3歳前の頃は、私がウツになり段々と療育に通えなくなってしまったんです。

――娘さんが最初に児童精神科を受診したときの病院の雰囲気がおどろおどろしく、また先生がヤマンバみたいな個性的な医師に描かれていたんですけれども(笑)、それがもし、この本でも取材させていただいた杉山登志郎先生(児童精神科医。高機能自閉症やアスペルガー症候群の権威)のような先生で、「今は大変だけれども、この時期乗り越えたら大丈夫なんだよ」というようなことを言ってくれたら、その後の展開は違ってました?

山口 違っていたかもしれません。ネットで調べるとどうしても暗い話ばっかり出てくるし、娘が初めて診断いただいた先生は「(娘さんは)一生を通して『変わった人』という雰囲気は変わりません」と断定的におっしゃった。その先生自身も変わった雰囲気をお持ちだったんですけどね(笑)。

――もしこの場面で、医師からあのような言い方をされなかったら、あんなにお母さん(山口さん)が子育てで迷わなくて済んだのでは、と思ってしまったのですが。

山口 「今はパニックを起こしやすいけれども、お子さんには丁寧に伝える、論理的に説明するといった伝え方でだいぶ変わりますよ」という子どもとの関わり方を教えてもらったり、「療育を受けたお子さんは落ち着いて生活されてますよ」というようなことを言っていただいていたら少し安心したかな、というのはありますよね。

――分かれ道で違う方へ行っちゃった……。

山口 そうですねぇ。もしかしたら、厳しい現実を突きつけることで親の障害受容を促そうという、ヤマンバ先生なりの「愛のムチ」だったのかもしれませんが、自信がなくて悲観的な私には逆効果だったというか。ただ、同じ療育施設に通っていた子たちの中にヤマンバ先生に診断されたお子さんもいたのですが、その子のお母さんは、ヤマンバ先生の言動に怒ってはいたものの明るく過ごされていたので、結局、受け止めきれなかった私自身の問題が大きいなとは思います。だから、(私に対する読者からの)批難が多いのも理解できるし、それこそ100人いたら99人は私のようにはならないんじゃないかと。

――マンガでは、ヤマンバ先生の診察室にはなぜか、デスクではなくちゃぶ台だけが置かれてあるんですけど!?(笑)

山口 ちゃぶ台というのはすごいインパクトがありますね(笑)、診察室というとデスクがあって、白衣着た先生が座っていらっしゃって……というのを想像してたんですけど、ひろ~いところにちゃぶ台がぽつんと一つ。マンガなので先生もちょっとキャラ化してますけど、ヤマンバみたいな印象は実際にありました。

――当時を振り返って、「あの時こうしておけば良かった」という悔いはありますか?

山口 もっと、そのときの「今」に目を向けるべきだったと思います。「将来」のことばかり考えて不安になって、安心材料を求めてネットを徘徊していました。でも、そこで得たネガティブな情報に凹んでいたら本末転倒ですよね。将来どうなるかなんて誰にも分からないけど、今、目の前にいる娘を笑顔にすることはできたはず。例えば、娘の大好きなサンリオキャラクターが並んだキャラ弁をつくるとか(笑)。発達障害の知識や情報は、将来の不安を消すためじゃなく、そうやって、今、子どもと楽しく過ごすために活用しなくちゃいけなかったと思います。もちろん、進学とか、将来を見据えた選択は大切ですけど、最終的には「今」の積み重ねが「将来」につながるわけですから。

――目の前にいる子どもを笑顔にすることが大切で、それが結局、将来のためにもなると。

山口 その通りです。相変わらず心配性なので、常にそう自分に言い聞かせてます。

後編へ続く

山口かこ

 

1975年愛知県生まれ。大学卒業後は不動産会社OLを経て、結婚、出産、広汎性発達障害の娘の育児を体験。その後、持ち前の洞察力と集中力、ディープな人生経験を駆使してライター活動をスタート。福祉、環境、カルチャー、歴史ネタを得意とし、ラジオ、紙媒体、WEBにて取材・構成・執筆を行う。

にしかわたく

 

1969年長崎県生まれ。東京都国分寺市で育つ。大学在学中に『月刊アフタヌーン』で商業誌デビューするも紆余曲折、現在は漫画・イラスト・映画コラムと場当たり的に活動中。著書に『僕と王様』『法廷ライター まーこと裁判所へ行こう!』など。