小説家の山本周五郎は50年前のきょう、1967年2月14日に63歳で亡くなった。山本といえば、賞に推されるたびにそれを辞退したことが語り草となっている。1943年上半期の直木賞に『日本婦道記』が選ばれたときも、その後『樅ノ木は残った』に毎日出版文化賞、『青べか物語』に文藝春秋読者賞が贈られようとしたときもいずれも固辞、「読者から寄せられる好評以外に、いかなる文学賞のありえようはずがない」という信念を貫いた(毎日出版文化賞は版元の講談社だけの受賞となる)。

 そんな彼の名を冠して、「優れた物語性を有する小説」を対象とする山本周五郎賞が創設されたのは、没後20年を経た1987年のこと。翌88年から新潮文芸振興会の主催で、三島由紀夫賞とあわせて毎年1回発表が行なわれている。文芸編集者のあいだでは、略して「山周賞」と呼ばれることも多い。

 第1回山本賞の受賞作は、山田太一の『異人たちとの夏』。黒澤明監督による映画化作品『椿三十郎』『赤ひげ』『どですかでん』(原作はそれぞれ『日日平安』『赤ひげ診療譚』『季節のない街』)で新たな読者を獲得した山本だけに、最初の受賞者に映画界出身で、テレビで数々の名作ドラマを生んだ脚本家が選ばれたのは、いかにもふさわしい。ちなみに山田と同世代でドラマの演出家として活躍した久世光彦も、1994年に『一九三四年冬―乱歩』で山本賞を受賞している。このほか、昨年はモデル・タレントの押切もえの2作目の小説『永遠とは違う一日』が候補作となるなど、同賞はたびたび話題を提供してきた。

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©文藝春秋

 なお、山本自身は辞退した直木賞だが、山本賞とあわせて受賞している作家もけっして少なくはない。先ごろ『蜜蜂と遠雷』が直木賞に決まった恩田陸も、10年前に『中庭の出来事』で山本賞を受賞している。また現在山本賞の選考委員も務める佐々木譲は、1990年に第3回山本賞を『エトロフ発緊急電』で受賞したあと、2010年に『廃墟に乞う』で直木賞を受賞している。この間20年、すでにベテラン作家となっていた。

 余談ながら、山本周五郎の本名は清水三十六(さとむ)で、直木賞に名を残す直木三十五より“一つ”多い。