ああ、なんてインドらしいことか。そう感嘆しきりなのが、東京六本木の森美術館で始まった「N・S・ハルシャ展 ―チャーミングな旅―」。インド出身のアーティストによる個展なので当然なのだけれど、非常にわかりやすくインドっぽさを感じさせるポイントがいくつもあるのだ。

あまりにも多く描かれた人、人、人……

 真っ先に目につくのは、人や物量の過剰さ。会場に入るとすぐに、3点組みの大きな絵画《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》に出くわす。それぞれの画面のなかには、無数の人、人、また人の姿。

©N・S・ハルシャ《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》(部分)1999-2001年
合成樹脂絵具、キャンバス172.1 x 289.3 cm、169.7 x 288.5 cm、172.2 x 289.2 cm 所蔵:クイーンズランド・アートギャラリー、ブリズベン

 3点のうちの左手の絵は、ひたすらどこかへ歩いていく人の列が、整然と描かれている。途中で皆、なぜか川を渡っていたりする。真ん中には、人々がひたすら食事をとっている図。右側の絵には、睡眠中の人たちがゴロゴロと転がっている。この3枚に囲まれると、文字通り人の波にさらわれそうな気分になる。インドの雑踏や川辺の光景としてよく見知っている、見渡すかぎり土地が人で埋まったイメージを思い起こさせる。

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 画面いっぱいに人を描き込むのはハルシャが得意とするパターン。他の展示室に架けられた《ここに演説をしに来て》も、横長の画面にびっしりと人物が描かれている。その数、約2000人に及ぶのだとか。タイトルから察するにみな、演説が始まるのを待っている様子だ。

©N・S・ハルシャ《ここに演説をしに来て》
2008年アクリル、キャンバス 182.9×182.9 cm(×6)

 目を凝らすと、見覚えある顔がちらほら。ガンディーがいたかと思えば、アーティストの村上隆、果てはスーパーマンまで。有名無名を問わず、一様に同じ簡素なイスに座って、何かを待ちわびている。脈絡のなさに唖然としつつも、とてつもない数の前に、完全に気圧されてしまう。

中央にバッドマン、スーパーマンの姿も。©N・S・ハルシャ《ここに演説をしに来て》(部分)2008年アクリル、キャンバス182.9 ×182.9 cm(×6)

インド特有の宇宙観に誘い込まれて

 人だけじゃなく、モノもたくさんだ。会場で歩を進めると、大きな室内が足踏みミシンで埋め尽くされた空間に出る。ミシンから吐き出された糸がそこかしこで絡み合い、台上にはカラフルな布が敷かれている。よく見れば国旗で、国連加盟193カ国すべての分が置いてあるという。この全体が《ネイションズ(国家)》という作品。そこに含ませた意図はどうあれ、これまた物量にただただ圧倒される。

 もうひとつ、違う角度からインドらしさを感じさせるのは、展示の終盤に設置された《ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ》。全長24メートルと、これまたとてつもなく巨大な布地に、メビウスの輪のように捻じれた黒い曲線がたゆたっている。

N・S・ハルシャ《ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ》©山内宏泰

 遠目に見ると何らかの文字か宗教的なシンボルに思える。黒地のなかに、光るものが点在している。誘われるように作品へ近寄ると、それらは瞬く星だったり、はっきり惑星の形をしたものもある。

 そう、どうやら宇宙を俯瞰して眺めている絵なのだ。これ以上なく大きいスケールのモチーフを、絵画のなかにさらりと取り込んでしまっている。世界の捉え方や、作者が表現しようとすることのあまりの壮大さにめまいを覚える。

故郷のインド・マイスールに留まるアーティスト

 N・S・ハルシャは、インドの現代美術界を牽引するアーティスト。出身地である南インドの古都マイスールに拠点を置いて、この20年来、活動を続けている。とうに国際的な評価を確立しているのだから、ニューヨークやロンドンのようなアートの中心地に移っても不思議じゃないけれど、彼はマイソールから動こうとしない。

 なぜ? と問いたくなるも、生み出す作品の内容を思えば、故郷に留まるのは当然だと思い至る。彼の創作から常に漂う強烈な「インドらしさ」は、在住していればこそ醸し出せる。愛着があり、かつ創作のタネがかくもたくさん落ちている地を、あえて離れる理由なんて見当たらないだろう。

N・S・ハルシャ © Mallikarjun Katakol

 自分の足元を長く、深く見つめることによってつくられるゆえ、ハルシャの創作は独自の個性を帯び、他に類例のない表現として世界中で受け入れられる。ローカルを突き詰めた先にしか、グローバル化なんてあり得ない。どんなジャンルにも通ずるそんな法則を、ハルシャとその作品が教えてくれている。

何千人だろうと、一人ひとりを描き分ける

 それにしても、ハルシャの制作手法には根気がいる。ひとつの作品にときに2000人もの人物を細かく描いていたら、さすがに嫌気がさしたりしないのだろうか。

 キャリア初期のころの《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》では、画面上部から人物を描き始めていって、一列目の途中で筆が進まなくなってしまったという。飽きたというのではなく、一人ひとりをどう表現していいかわからなくなったのだそう。

 が、そこで彼は、はたと気づく。この作品で描こうとしている「歩く」「食べる」「眠る」は、誰しもがする日々の営み。それらが人に共通の営みであると示すには、無数の人々が等しくその営みをしている姿を描かなければいけない。そして同時に、無数の人々がいるとはいっても、ひとりとて同じ歩き方、食べ方、眠り方をする人はいないのだから、全員を異なる姿、様子、しぐさで描くべきだとも。

展覧会の風景 ©山内宏泰

 そう考えると、筆がまた自然と進み出した。一画面に無数の人を並べ描き、その一人ひとりを異なる人間として描き分けるのは、ハルシャのおなじみの手法となって、現在に至っている。今展でも、さまざまな時代の作例を観ることができる。人はみな同じであり、みな違う。多様な存在であるのだと、会場のあちらこちらで感じ取れるはずだ。

 インドの社会や文化の現在のありよう、インド独自の世界観・宇宙観、それらが地球の他地域で暮らす人の心にも響く普遍性あるものだとの感覚。さらには、素朴さと鋭いコンセプトを融合させた絵画の可能性とおもしろさ。インドの一地方にいるひとりのアーティストの作品展示が、遠く離れた場所で生活する私たちに、これほどいろんなことを教えてくれるなんて、驚くよりほかない。