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 Aが逮捕されたのは翌年5月と、なかなか事件化されなかったのは、貴美が、「(警察に)話したら殺すと言われている」と恐れて証言しなかったためだ。スタッフのケアにより回復し、警視庁に被害を訴えることになった。その後、逮捕されたAが、「記憶がない。オレは統合失調症だ」と容疑を否認した。

 Aはネカマになって、被害女性に近づいた。女性同士と思わせれば友達になりやすい。Aがバレンタインデーのチョコレートを欲しいと要求して、ネカマがバレたものの、関係は維持された。Aは貴美の住所を知ったことで「ヤクザを送り込むぞ」と脅し、彼女を上京させると、自分も「予備校に通う」と父親に嘘を言って、上京し、足立区内に家賃月12万円のマンションを借りる。鎖と首輪で逃げ出さないように拘束して監禁した。

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監禁王子が逮捕されるまで

 Aは昭和55年(1980年)10月、青森県五所川原市で生まれた。津軽富士ともいわれる岩木山が望む地方都市で人口6万強(当時)。実家は税理士事務所と経理専門学校と保育所を経営。地元の旧家として、地域にはその存在を示していた。

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 父親は税理士。母親は簿記学校の教員。祖父は元警察署長で、保育園を運営する社会福祉法人の理事長で保育園長を兼ねていた。Aはそこで過保護に育てられた。自宅から約1キロの小学校には、母親が運転する高級車で通っていた。同級生には「小遣いは10万円」と言いふらしていた。

 現地を訪れたとき、すでに家宅捜索を終えていたが、父親は行方をくらましていた。

「弁論要旨」によると、Aは独善的性格で、「他人の感情への配慮が乏しく、社会的規則を無視する傾向があり、挫折体験に対する耐性が低く、不都合なことを合理化して他人に責任転嫁するなどの性向があったことも否定できない」。自分勝手な性格であることを当時の弁護士も認めているのだ。母親に溺愛されて育った一方、父親を嫌っていた。当時の弁護士にも「母親が死んでから人生が狂い始めた。母親が唯一の自分の理解者だった」ともらしていた。夫婦喧嘩も絶えなかった。