畠山への謝罪、そして畠山からの感謝の言葉
畠山が若い頃、猿渡さんは朝から晩まで練習パートナーを務めた。合宿所に寝泊まりしていたから、時間を気にすることなくファームの若手野手の練習に寄り添い続けた。打者に転向していた宮出隆自、ユウイチ(松元)、ツギオ佐藤、入団したばかりの青木宣親、そして畠山らとともに汗を流す毎日。やがて、畠山の才能が開花する。08年頃からは一軍選手としての日々が始まり、畠山はヤクルトの中心選手へと育っていく。一方、10年シーズンを最後に猿渡さんはヤクルトを去り、畠山との直接の交流はなくなった。
それでも、テレビや新聞を通じて、畠山の活躍を陰ながら応援し続けた。15年の優勝に大きく貢献し、打点王のタイトルを獲得したときには自分のことのように嬉しかった。そして、久しぶりに電話が来たのが、先に紹介した「引退報告」だった。
「そのときは、“もう足がダメだから、今年で引退します”って言われました。それで、僕は“ごめんな”って謝りました。若い頃にむちゃくちゃ走らせたんですよ。そのせいで足を傷めたんだと思ってね……」
この言葉を聞いた畠山は、すぐに否定したという。
「このとき畠山は僕に、“いやいや、あのときあれだけ走ったおかげで、この年まで野球ができたんだから、謝ったりしないで下さいよ。むしろ感謝しているんですから”、そう言ってくれました。てっきり、オレのことを恨んでいると思っていたのにね……」
思わず、猿渡さんの胸が熱くなる。畠山とともに汗を流した、かつての日々がよみがえってきたからだ。
「まさか、そんな言葉をかけてもらえるなんてね。本当に嬉しかったですよ。あぁ、“コーチをやっていてよかったなぁ”って思いましたよ。本当に指導者冥利に尽きますよ。女房に言ったら、涙ぐんでいたよ。女房も嬉しかったんじゃないのかな?」
この電話の後、猿渡さんは久しぶりに神宮球場に足を運んだという。もちろん、畠山の引退試合に駆けつけるためだ。伊東在住の猿渡さんは帰りの電車の時間もあって、試合終了後に行われる予定の引退セレモニーを見届けることはできない。それでも、神宮に駆けつけたかった。畠山が最後に打席に立つ姿を見たかった。試合途中に帰らなければならない猿渡さんは、「もしものときのために」と、念のために試合前のクラブハウスに顔を出し、「長い間、お疲れさま」とねぎらいの言葉を贈った。しかし――。
「帰りの電車の時間があるから、“もう帰らなくちゃいけない”というタイミングで、ちょうど、“代打・畠山”が告げられたんです。そして畠山は、満員のお客さんの前で大歓声を浴びながら、最後の打席でヒットを放った。最後の最後にいい場面を見ることができました。本当によかった、本当によかった……」
愛弟子の最後の雄姿。胸を熱くしながら、畠山の現役最終打席を猿渡さんはしっかりと見届けた。畠山和洋――猿渡さんにとって、忘れられない師弟の見事な有終の美だった。
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