ポートレート、すなわち人の顔は古今東西、アートの主たるテーマとして君臨してきた。今なら東京・原美術館に足を運べば、「僕らの時代の肖像画」というべき作品に巡り合える。「エリザベス ペイトン:Still life 静/生」展が開かれているのだ。
描かれた人物が「同志」に見える
鮮やかな赤い服を着て、伏せっている人物。リラックスした姿を見せているだけなのに、意志の強さと繊細さを併せ持った人であろうと察せられる。伝説の歌い手、カート・コバーンを描いた《Kurt Sleeping》だ。
黒い衣装に身を包み、背筋を伸ばして眼光鋭く彼方を見据えている女性の顔もある。《Georgia O’Keeffe after Stieglitz 1918》は、二十世紀の米国絵画界を代表する画家、ジョージア・オキーフがモデルとなっている。
ほかにも、画家本人の親しい友人知人をモチーフにした作品も多数あって、描かれた人物の顔はどれも劇的でロマンティック、かつ情熱的。刻々と移ろっていく表情のなかから、その人を最もよく表す感情が現れ出た瞬間を見極め、描き留めている大まかな筆致で、手早く描いたように見えることも相俟って、つい先ほど完成させたばかりのような臨場感に満ちている。
だからだろう、ペイトンの肖像画は観る側にとって、ひじょうに近しいものに感じられる。描く人、描かれる対象、観る人がみな同じ地平にいて、似た悩みや喜びを共有しながら生きているんだなと、親近感がふつふつと湧いてくる。同じ時代をいっしょに生きていく同志を見つけた気分。
レオナルドもレンブラントも、同時代人を描いてきた
考えてみれば、広く知られる西洋名画だって、概ね同時代の人を描いてきた。レンブラントは自分や妻の顔をモチーフに選んだし、ダヴィッドは自身が仕えたナポレオンを英雄然と描いた。レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》は、特定の人物ではなく普遍的な人間像を目指しているけれど、おそらくモデルになった女性は存在し、それはレオナルドと同じ時代を生きた人だったに決まっている。
そうした巨匠たちの作品に、今の私たちだって感心して見入るけれど、描かれた当時の人たちが絵から感じたであろう距離の近さは、残念ながら味わえない。同じ親密さに浸りたいならば、我らが時代のレオナルドやレンブラントを探さなければ。僕らにはエリザベス・ペイトンがいてよかった。
肖像画は作者の顔に似る
おもしろいのは、ペイトン作品に描かれている人物が、生きた地域も立場もまったくバラバラなのに、面立ちや佇まいに共通点がよく読み取れるところ。端的に言って、作者エリザベス・ペイトンの顔や佇まいにたいへん似ているのだ。
ああ、そういうものかもしれないと改めて思う。肖像画とは、他人というモチーフを用いながら、描き手が自己を表現するもの。そうであればこそ、個人の作品として成立するのだろう。会場の原美術館は、戦前に個人の邸宅として建てられたもので、かつての居住空間を展示の場につくり変えている。ほどよいサイズの温かみある空間に、エリザベス・ペイトンの絵画がよく合う。建物と作品が溶け合って生み出す親密さを、ゆっくり楽しんでみて。