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「ヤバい。俺プロ野球なんて絶対無理だって」――“ドラフト最下位”三輪正義の生き方 #1

2019/10/16
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ガソリンスタンド3カ所に勤務した社会人時代

 入社した山口産業は今日まで全国大会に5回出場した経験を持つ強豪である。しかし残念なことに、そこの野球部は軟式野球部だった。

「実は僕はじめての軟式だったんですよ。小学校はソフトボールで中学から硬式だったので、最初は戸惑いました。……なかなか点が入らないし、守備でもありえないイレギュラーがきますからね。難しかったですけど、ちょうど僕が入社する少し前から会社も野球部に力を入れ始めて、同期には甲子園に出た如水館のショートとライトがいたりと、メンバーも揃っていました。だから野球自体は面白かったですよ」

 練習は1週間のうち月、水、金の3日間。朝7時に早出をして15時半までが仕事。17~19時までが練習。土、日は試合にあてられた。

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 三輪は宇部市内のガソリンスタンド3カ所に勤務した。業務内容はオイル交換、タイヤ交換、バッテリー交換など。愛想の良さで営業成績は全社員中2位。仕事も野球も充実した毎日を送るが、この時点でも三輪の将来設計に“プロ野球”という選択肢は、まったく出てこない。

「危険物取扱者の資格も持っていますし、『整備士の資格も取れ』と言われていたぐらいです。だから、アルバイトの城石さんとは一緒にしないでください。まぁ、それはさておき、僕、元々はものすごく人見知りだったんですよ。GSは毎日50人ほどお客さんが来るんです。毎回違う人と話をして、オイルを換えてもらうんですが、押し売りせず、上手に買ってもらうにはどうするか。考えました。そして、その人の表情や車の細部などをくまなく観察して“この人は何を考えているんだろう?”“時間はあるのか? どうすれば買ってくれる?”なんてことをしゃべりながら探り、あとは交渉ですね。『もうずいぶん走られていますし、オイル交換どうですか? あと冷却水もあまりよくないですね。これ通常なら2つで4500円ですけど、3000円でいいです。時間も30分で終わります』って。そういう人間観察なりしゃべりの経験はプロ野球選手になった今にも生きています。人生、無駄なことは何一つないなとつくづく感じますね」

 入社2年目の2003年に、山口産業は県代表として国体に出場。三輪は野球でも仕事でも大きな信頼を得て、会社からは将来の幹部候補として大きな期待も受けていた。

 しかし、三輪は入社3年目になって、急に会社を辞めてしまう。

「なんで辞めたんでしょうね。バカなんですかね。硬式野球への未練が捨てきれなかったのか、あるいはちょうど監督が辞めたというタイミングだったのか。うーん……いまだに考えても謎というか。確か、その時父親に『もう一度硬式をやらないのか?』と聞かれているんですが、『いや、いいよ』と断っていますし、理由なんて特にないんですよ。ただ、辞めるなら今だなと思って、0・1秒も迷うことはなかったことだけは覚えています。入社に尽力してくれた恩師には言えなかったですけどね……」

今季で現役引退を決めた

球界再編が三輪の野球人生に微かな影響を与える

 2004年8月。三輪は山崎監督にも相談することなく山口産業を退社した。そして、何故か硬式用野球用具を買い揃え、ウキウキで母校・下関中央工で練習を始めている。

 9月。隣県でプロテストがあることを知った三輪は、福岡ダイエーホークスの入団テストを受験する。遊び半分の気持ちだった。

「運よく最終試験まで残り、練習に参加させていただいたんですけど、合格できるとは少しも思いませんでした。その当時、僕はフリーターですし、時間だけはあるので自分の力がどんなものかを確認する意味で受けたようなものです。練習参加は3日間だったんですけど、最後の夜に当時のルーキーだった城所くんや明石くんなんかと合宿所のミラールームで話をしたのを覚えていますよ。その時に聞いたんです。『明日、ストだから練習も休みらしいですよ』って」

 時は折しも近鉄とオリックスの合併問題に揺れる球界再編騒動の真っ只ただ中である。その日の夜、宿泊先のテレビを点つけると、スポーツニュースに選手会の古田敦也会長が出演していた。涙を流しながらストの決行を謝罪する古田の姿を、三輪は遠い世界のことのように見つめていた。

 2004年。野球界は合併問題により大揺れに揺れていた。そして、そのことは一見まったく影響のなさそうな三輪の野球人生にも、微かな影響を与えることとなる。

 ホークスのテスト最終日となる9月18日。日本プロ野球選手会はストライキを決行した。予定されていた1軍戦6試合、2軍戦3試合がすべて中止になったほか、各チームの練習も一部取りやめとなる。そして、三輪が参加していた、福岡ダイエーホークスの入団テストも、中止されることになった。

「まぁ、万が一その日、練習があっても僕が合格することは絶対になかったですよ。それぐらい僕の実力とプロ野球の力の差は感じていました。やっぱりプロ野球なんて別格。雲の上の存在ですよ。練習をしている中でも、やっぱり打てないし、ああこれはダメダメって感じでしたから」

※その後、三輪はどのようしてプロの世界に入ったのだろうか。#2につづく

ドラフト最下位

村瀬 秀信

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