プロ野球ドラフト会議は10月17日に行われる。上位指名選手にスポットが当たりがちだが、下位指名も興味深い。なかでもその年、最後に名前を呼ばれた“最下位指名選手”は、プロ野球選手に“なれた人”と“なれなかった人”の境界線にいる、特別な存在だ。
今季で現役引退を決めたヤクルトの三輪正義。彼もそんなひとりである。「できるわけがない」から始まったプロ野球人生を、本人の言葉で辿った。
※『ドラフト最下位』(KADOKAWA)から抜粋
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神宮球場。試合前、誰よりも早く球場に入った背番号60の1日は、全ポジションで入念なノックを受けるところからはじまる。室内練習場に移動してマシンを相手に黙々と打ち込み、仕上げにバントをチェックする。ゲームがはじまればムードメーカーとしてベンチを盛り上げ、終盤になると展開を読みながら出番に備え、ベンチ裏でダッシュを繰り返す。
三輪正義はいわゆる便利屋だ。
身長168センチ、体重70キロ。細身で小さな体躯は50メートル5秒7の快足を誇り、守備の本職は内野手ながら時には外野、非常時には捕手まで務める。ベンチでは誰よりも声を出し、サヨナラヒットを放てば飛び蹴げりされたり、チームメートに華麗にスルーされたりと、あらゆる面でユーティリティープレーヤーと呼ばれる彼は、いまやチームには欠かすことのできない存在となっている。
「プロの世界で今も自分がやれていることが奇跡みたいなものです。いつも思うんですよ。プロ野球といえども、慣れれば誰でもヒットを打てるようになる。だって、僕がヒットを打てるんです。高校や社会人の僕を知っている人は、みんな驚くんじゃないですか。恩師も、僕ですら打てると思わなかった。そんな選手ですよ。僕は下手くそなんです。だから、万全の準備をするしかなかった」
“できるわけがない”
それが三輪のプロ野球人生の、そもそものはじまりだった。
大学・社会人からも声が掛からなかった男
2007年11月19日。15年ぶりに逆指名制度が撤廃され、2005年からはじまった高校生と大学生/社会人の「分離ドラフト」が最後になったドラフト会議。この年は高校、大・社ともに「BIG3」が指名の目玉となり、すでに行われた高校生ドラフトでは中田翔が日本ハム、佐藤由規が東京ヤクルト、唐川侑己が千葉ロッテと、それぞれが交渉権を獲得。この日行われた大学生/社会人ドラフトでは大場翔太、長谷部康平、加藤幹典の3人で12球団の1巡目入札を占めた。大場は6球団から指名を受けソフトバンクに決定。同じく5球団の長谷部は楽天。残った加藤は東京ヤクルトスワローズが一本釣りするという幸運に恵まれた。
それから、数時間後。このドラフト最後の指名となる34人目。東京ヤクルトスワローズの6巡目に名前を呼ばれたのが、四国アイランドリーグ・香川オリーブガイナーズの三輪正義だった。
「指名を受けた瞬間は、ハッキリと覚えています。一応、会見のためにスーツを着て待っていたんですけど、指名される確約なんてありませんでしたからね。呼ばれなくて当然だと思っていましたし、僕が指名されるとしてもヤクルトの最後しかなかったんです。他球団がどんどん選択を終了していく中、ロッテが選択終了して、ヤクルトだけになった。ああ、呼ばれなかったなと諦めかけていたら、その時『第6巡』って声が聞こえてきて……。その瞬間は嬉しかったですよ、ええ。一応、1年間プロを目指してやってきましたからね。ただ、よろこんだ0・2秒後くらいには『ヤバい。俺プロ野球なんて絶対無理だって。どうしよう』となっていました。『よし、やってやろう!』なんて気持ちは1ミリも芽生えない。“できるわけがない”。それが最初の心境です」
先日、とある有名プロ野球解説者に、ルーキーが活躍するための条件について話を聞く機会があったのだが、その解説者は、プロ野球界の真理を語るような口ぶりでこんなことを話していた。
「プロ野球に入ってくる人間はね、実力の優劣は関係なく、共通して自分の技術に絶対的な自信を持っている。プロとはそんな人間だけが通用する世界ですからね」
いた。
まるで自信を持たないままプロ野球の世界に入り、12年も現役を続けている選手が。
三輪正義。ちょっと変わっているのはその独自の経歴だけじゃない。