興行に必要な「ビジョン」とは?
――松之丞さんは小屋というか、「劇場戦略」にこだわってますよね。興行的には立川流の匂いを感じます。
松之丞 立川流は寄席を持たないので、メディア、劇場戦略が生命線でもあるわけです。特に、志の輔師匠が毎年1月に渋谷のパルコ劇場で1ヶ月間開いていた「志の輔らくご」は興行として一つの完成形だったと思います。じゃあ、自分はどうするのか。私がまったく同じことをやっても仕方がないので、講談の魅力を伝えるため、1週間単位で「連続物」を読んでみたいと考えています。それを4週間やるというイメージです。
――連続物というと、10話以上話が続く読物ですね。マンガの雑誌連載のルーツは、講談にある。そう思います。
松之丞 連続物は講談の財産だと思います。それを、みんながワクワクするような仕掛けと組み合わせていく。たとえば、『寛永宮本武蔵伝』という連続物がありますが、最後は自分が巌流島に行って特設ステージを作り、薪を焚きながら読むのもいい。
――面白い! でも、巌流島は船でないと、行けないですよね。
松之丞 お客様に全然やさしくない(笑)。でも、僕が実際に巌流島に行った時に笑ったのは、アントニオ猪木とマサ斎藤の決闘の石碑が残ってるんですよ。それが巌流島のちゃんとした歴史に刻まれてるんです! 巌流島で宮本武蔵を読んで、石碑に刻まれるのも悪くない(笑)。
兄さんには「ビジョン」がなかった
――戦後、そうした興行感覚を持った講釈師の方はいなかったんでしょうか。
松之丞 今は北海道に住んでらっしゃる神田山陽兄さん(あにさん)は、スポークスマンとして超優秀だったと思います。牛乳のCMに出たり、NHKの幼児向け番組に出たりして、素晴らしいエンターテイナーでした。ただ、生意気なことを言うようですが、僕が客席から見ていると、兄さんには講談に対する「ビジョン」がなかったのかなと思います。この人をずっと追っかけていると、何か面白いことが待っている――そうしたワクワクする感じが、講談に限っては見えなかった気がして。
――ワクワクにこだわる。なんだかそうした発想って、中村勘三郎丈に似てますね。平成中村座を作ってしまったり、みんなが喜ぶ仕掛けを亡くなるまでずうっとやっていた。
松之丞 僕が思うに、そうしたワクワクする感じって、江戸時代から日本にずっと伝わってきてる感覚じゃないですかね。それを現代的な形で見せていく。幕末の安政期間には、200もの講釈場があったと言いますから、僕としては、30年後くらいに東京に持続可能な講釈場を作りたい。それが僕のビジョンですかね。
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かんだまつのじょう/1983年生まれ、東京都豊島区出身。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門。2012年、二ツ目昇進。2015年、「読売杯争奪 激突! 二ツ目バトル」優勝。趣味は落語を聴くこと。持ちネタの数は9年で120を超え、講談普及の先頭に立つ活躍をしている。
(2月22日水曜公開の#2につづきます)