観光客と観光整備はある意味イタチごっこ
外国人観光客に対する受け入れ態勢を整えるべきといっても、そもそも受け入れ態勢が整っている場所、つまり「観光ずれ」した場所を避けて、もっと受け入れ態勢が整っていない「観光ずれ」していない場所に「リアル」さを見出して楽しもうとする観光客の嗜好の変化を考えると、観光客と観光整備はある意味でイタチごっこの関係という側面があることも事実だ。
オーバーツーリズムと聞くと、つい観光客の「数」の問題を考えてしまうが、これまで紹介してきたような事例では、その嗜好や行動の変化という「質」の問題も重要ということがわかる。実際に京都においては観光客の総数は近年では逆に減少傾向にある。観光客は減っているのに、なぜ問題が起きるのか? それは観光客の嗜好や行動という「質」の変化と地域社会の間にミスマッチが起こっているということでもある。
観光されるあなたの「リアル」
それまでその地域の人々からは価値や魅力を認識されていなかったものを、外からの視点で観光資源として「発掘」することは観光振興の重要な鍵である。しかし、地域の埋もれた観光資源を発掘するのは何も住民や関係者だけではない。
ちかごろ、酔っ払って路上で寝込んでしまったサラリーマンなどが写りこむように記念撮影した外国人観光客の自撮りがインターネットにアップされているのを見かけるようになった。我々には当たり前の風景でも、外国人観光客からすると、飲酒に「寛容」な日本社会を象徴する新しい名物になりつつあるようだ。皮肉だが、これは彼らが発掘した観光資源といえる。きっと「リアル」なのだろう。
オーバーツーリズム対策を含め、観光をいかにコントロールするかは数の問題だけではない。外から訪れた人々は、我々の社会や暮らしを見て、何を読み取り、喜び、面白がっているのか。もはや「観光される国」に暮らす我々にとって、これら外からのまなざしとの葛藤はある意味で死活問題ともいえる切実さをはらんでいくと思われる。
たとえば「インスタ映え」で、突然あなたの家が世界中の観光客にとっての憧れの聖地になることだってあるかもしれないのだ。よそものに厳しく「一見さんお断り」だった花街が、いつの間にか世界中から観光客が押し寄せる観光地にされてしまったように。