死者の魂を自身に憑依させ、その言葉を伝える女性の霊媒師「イタコ」が、消滅の危機に直面している。いま青森県内で活動しているのは6人だけ。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「イタコは盲目であるため、巫術(ふじゅつ)は口伝で承継されてきた。そのため資料がない。イタコが途絶えれば、巫術も永遠に失われてしまう」という――。

撮影=鵜飼秀徳 硫黄臭が立ち込める恐山の岩場地帯 - 撮影=鵜飼秀徳

女性の霊媒師「イタコ」が消滅の危機に直面している

岩肌からシュー、シューと火山ガスが吹き出している。湖を吹き渡る風が、赤い風車をカラカラカラ……と鳴らす。湖岸に風車を立て、一心に手を合わせる中年の夫婦がいた。わが子を亡くしたのだろうか。夫婦が去った後には、線香とヤクルトが3本、供えてあった。

青森県下北半島、恐山。そこは死者の魂が集う場所である。荒涼とした風景は地獄にも例えられてきた。東北には古くから、生と死は地続きだとする死生観が根付いている。「彼岸」に踏み入れることのできる場所のひとつが恐山なのである。私は10月三連休の秋大祭の折、恐山に参拝するとともに、青森各地に足を向けた。

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目的はイタコに会いにいくためである。

最盛期の明治初期には約500人いたが今は6人

イタコとは東北に息づく伝統的な女性の霊媒師だ。死者の魂を自身に憑依させ、死者の言葉を伝える「口寄せ」を生業にしている。

その起源は江戸時代にまでさかのぼる。山で活動する修験者(山伏)の妻が、呪術を身につけ、その後、弟子に巫術(ふじゅつ)の伝承をつないできた。イタコは最盛期の明治初期には南部地方(青森県東部、岩手県北中部)を中心に500人ほどいたとされる。

前回、私がイタコの取材に入ったのは2016年冬。この3年の間に2人のイタコが、高齢で引退したり、亡くなったりしている。私はこの機会を逃しては、二度とイタコに会えなくなるとの危機感を抱いていた。

「恐山といえばイタコ」。そんなイメージもあるが、彼女らは恐山に常にいるわけではない。イタコは普段は八戸などの集落に暮らしていて、地域の中で活動をしている。恐山には春と秋の大祭の時にだけ、出張してくる。恐山がイタコの代名詞になったのは、1974年に寺山修司監督の映画『田園に死す』で、恐山でのイタコの口寄せが取り上げられたことがきっかけという。