リーダーになったのは最年長だから……ではない
城島茂バンドは、彼が20歳になるかならないころに、外国でもすぐ日本のバンドとわかるようにと「TOKIO BAND」と改称、松岡昌宏がドラマーとして参加する。さらに城島とミュージカルで共演した国分太一がキーボードを操れるというので、当然のごとくバンドに誘った。最後に、まだ中学生だった長瀬智也が加わり、当初はタンバリン、のちにギターとボーカルを担当するようになる。この間、1990年にグループ名を現在のTOKIOに改め、1994年、シングル「LOVE YOU ONLY」をリリースし、CDデビューを果たした。
城島はTOKIOのリーダーである。てっきり最年長だから自然とその任に就いたのかと思いきや、そうではないらしい。きっかけは、ロケバスのなかで弁当をめぐって争っていたところ、同乗していた少年隊の植草克秀から「君たち騒々しいぞ。リーダーは誰なんだ? ちゃんと仕切らなきゃダメじゃないか」と叱られたことだった。それから議論した結果、一番民主的な方法で指導者を選ぶことになる。その方法とは、じゃんけんだった。城島はグーを出して負けて、リーダーに選ばれる。その途端、怒られるのはもっぱら彼の役目になった。これではかなわないと、メンバーに日替わり制を提案するも一蹴される。あきらめて、逆に職務をまっとうしようと思い直すと、出演番組は録画してメンバーの表情やセリフ回し、動きをチェック、ステージ衣装や演奏の曲順、アレンジにも口を出した。まだ専属のマネージャーがいなかったこともあり、スタジオの予約や食事の手配もこなしたという(※1)。だが、その後、メンバーが成長し、自主的に動くようになると、城島がそこまでやる必要はなくなった。それでも「リーダー」は彼の代名詞として、ファンのあいだにも定着している。
「仮にも城島はアイドルTOKIOのリーダーですよ」反対した企画
現在も続くTOKIOの人気番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ)は1995年、深夜枠で始まった(当初は頭の「ザ!」はつかなかった)。同年にはSMAPもやはり深夜番組の『SMAPのがんばりましょう』(フジテレビ)でメイ