時の流れや死への怖れと、隣り合わせなのが遊園地
ただ、遊園地というテーマは今回、三宅作品のなかに初めて浮上したもののはず。なぜかくも熱心に、自分の遊園地をつくり上げたのか。
展覧会のスタートに合わせて在廊していたアーティスト本人に話を聞けた。
「親と一緒に遊園地や家族旅行に行った思い出が僕にもありますけど、そういうときって楽しいのと同時に、いつも寂しさやもの哀しさがあったのを鮮明に覚えています。楽しい時間はすぐ過ぎ去って、終わりが来てしまうことを最初から感じてしまっているんですね。
時間はとめどなく流れて決して留まりはしないこと、人の命はいつか尽きて存在ごと消えてしまうことは、何かをつくるときにいつも頭のなかにある。今回はそれを前面に出そうと考えました。それで遊園地と向き合ってみようということになったんです」
ああ、そういう哀愁や喪失感はたしかに覚えがある。幼いころの楽しい時間にはいつだって、何やら得体の知れない怖れや焦りがあって、それを掻き消したいがために余計に羽目を外してはしゃいでしまったり……。
楽しいイベントの渦中にいるときの、あのいろんな感情が入り混じった感覚をありありと思い起こさせるから、三宅の生み出した奇想天外な遊園地は、妙にリアルに感じられるのだ。
「時間の経過や死への恐怖を紛らすために、いっそう絵を描くことに没頭しようとするところが僕にはある。何かに集中していないと、頭を負の感情に持っていかれてしまうので。今回の作品も、そうやってできていったものです」
我を忘れるほど楽しくて、やがて哀しき三宅信太郎の遊園地で、存分に遊んでみよう。童心に返ることができるのはもちろん、自分の思い出が想像以上に複雑な要素でできあがっていたことに、改めて気づかされる。