「座して死を待つつもりはない」
石原慎太郎元東京都知事は記者会見の冒頭、ロッキード事件の刑事被告人となり、無念のうちにこの世を去った田中角栄元首相をわが身に置き換え、こう言い放った。
築地市場の豊洲移転をめぐる行政責任が問われた石原氏は今月20日、出頭拒否を許されず、偽証すれば刑事告発の可能性もある都議会百条委員会の証人喚問が待ち受ける。
昭和史に残る大疑獄事件とは向けられた疑惑の“格”こそ違えど、国会議員として25年、知事として4期13年の石原氏のキャリアがそう言わせたのであろう。
しかも、築地移転問題は10年以上も前、議会承認を得て予算化して施設はすでに完成しており、昨年11月の移転が決まっていた。それを今になって蒸し返し、知事としての責任を問われて巨額の賠償を求められてはかなわない。
むしろ、問われるべきは科学的根拠を示すことなく移転延期を決めた小池百合子都知事の「不作為」の行政責任である。これを石原氏は「科学が風評に負けるのは国辱だ」として、自らの正当性を訴えた。小池知事への宣戦布告である。
確かに移転延期の科学的根拠を問われれば、小池知事も苦しい立場だ。移転延期に伴う市場関係者への補償費50億円を17年度の補正予算に計上し、17年度予算案も築地市場の運営を前提に編成したことで、とりあえず移転の最終判断を先延ばしすることはできたものの、事実上、今夏の都議選がタイムリミットだ。
今でこそ自民、公明両党は有権者の高い支持率を背景にした小池知事に歩調を合わせているが、都議選の結果次第で攻守は逆転する。石原氏が記者会見で小池氏の行政責任に言及した狙いはそこにあった。百条委員会はその前哨戦となる。
小池知事も後へは退けない。石原氏の言葉を借りれば、「風評」頼みの戦いは先の知事選に圧勝した小池劇場の第2幕。石原氏を都議会のドン、内田茂氏に代わる敵役に見定めての百条委員会である。
もう一人のキーマン、浜渦氏を足がかりに
石原都政13年には功罪あるが、豊洲移転問題一つをやり玉に挙げても財政再建団体転落寸前の東京都の財政を立て直し、東京五輪招致に道筋をつけて勇退した功績を帳消しにできるものではない。小池知事も無理筋であることは重々承知の上、それならば、と脇役として登場願ったのが気の毒にも石原氏の腹心として00年7月から05年6月まで副知事を務めた浜渦武生氏だった。
浜渦氏については01年7月に東京ガスと交わした土地売買の基本合意に至る下交渉で土壌汚染対策を「水面下の交渉」として先送りしたことが指摘されている。都が11年3月、東京ガスと正式に売買契約を締結後に汚染対策費858億円の追加負担を強いられたことの行政責任を問われ、19日、石原氏に前後して百条委員会に出頭する。
小池知事は浜渦氏を足掛かりに石原バッシングに火をつけ世論の支持をつなぎ留めたいのだろうが、時系列を追えば、百条委員会を待つまでもなく事の是非は明らかだ。
石原氏を追いつめるどころか、逆に小池知事の「不作為」の行政責任が問われる回り舞台になるかもしれない。あるいは小池都知事に追い落とされたとはいえ、今なお都議会に隠然たる力を持つ内田氏と石原氏に首相官邸が加わり、小池潰しのシナリオが描かれているとすれば、当初は百条委員会の設置を渋っていた都議会多数派の自民、公明両党が一転してこれを認め、石原氏がいったん取りやめた記者会見を百条委員会の証人喚問が正式に決まった直後、急きょ開くに至ったことも頷けよう。
かつて小池知事は浜渦氏に推薦を断られていた
それにしても小池知事は政局遊びが過ぎた。実は石原都政3期目が半ばを過ぎた頃、民主党政権時代に小池知事は密かに浜渦氏を訪ね、ポスト石原の後継候補に推すよう打診して断られていた。小池知事が日本新党から出馬したことに石原氏が露骨に不快感を示したことは浜渦氏から直接聞いた話だ。今回の百条委員会設置は、浜渦氏からすればその意趣返しにも取れよう。
浜渦氏は学生時代、兵庫県の小池氏の実家に下宿していたことがある。女子高生だった小池知事とは旧知の仲だ。小池氏の父親は石原氏の支援を受け69年の衆院選に旧兵庫2区から出馬し落選しているが、この時、浜渦氏は選挙運動を手伝っている。言うなれば、小池氏は寝食苦労を共にした身内同然の浜渦氏に匕首を突き付けたわけだ。近親相食むもう一つの隠れたシナリオである。
小池都政の都民ファーストが試されよう。