『孫と私の小さな歴史』 (佐藤愛子 著)

 つくづく母は面白いことが大好きなんですねえ。人をびっくりさせたり、笑わせたりすることが楽しくてしょうがない。年賀状に家族や孫の写真を載せて、「孫は×歳になりました」と書く。それはそれで近況報告としてはいいかもしれないけれど、あんまり面白くないでしょう。母は面白くないとダメなんです。

 写真を撮る時は一所懸命、真剣そのものです。私以外、こんなものを撮る人はいませんから、仕方なくやっていました。

 撮影は半日がかりで、へとへとになります。それでも毎年続けるんです。それを聞いた私の友人は、

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「変身願望かしら」

 と現代的に解釈しようとします。世間の人が母のような変わり者を理解するには、そういった意味付けが必要なのかもしれません。

孫とコギャルに

 いかに面白くするか、という点について、母はモチーフや演出の仕方にはこだわるけれど、自分自身をおかしいとか面白いとはまったく思っていないのです。どう見てもおかしいのは本人だと思うんですが。

 普通のおばあちゃんは、孫にはサービスすべきものだ、と思っている場合が多いと思います。母には、そんなところはまったくありません。

「お孫さんができて、お母様もさすがに変わったでしょう」

 とよく言われますが、まったく変わっていません。年を取って自然に変わったことはあっても、孫が出来て変わったことは何もない。

こんなバージョンもあります

 母はまったくの仕事人間、しかも職人なんです。テレビで職人の仕事を追うドキュメント番組が放映されることがあるでしょう。ぶっきらぼうで、しゃべるのは下手だし、礼儀作法もすっ飛ばす。だけど、黙ってコツコツ日がな一日桶を作っている桶職人。腕は一流だけれど、桶作り以外のことはしないし、できない。

 母はそういう人に近いと思う。

 日常生活でいろいろ苦労があっても、イライラして怒鳴ったりすることがあっても、とにかく毎日ずーっと書いているわけです。

佐藤愛子 ふだんの姿

「私なんか、文学的素養も何もないのに何十年も書いてこられたのは、書くことに対してしつこいからですよ」

 と言っています。それほど毎日毎日書き続けたんです。

 たぶん、普通のうちで言えばお父さんなんでしょうね。母は桃子が生まれたとき「おばあちゃんだと思わないでほしい。私はおじいちゃんになる」と宣言しました。

 が、宣言しようがしまいが、最初からお祖父さん気質だったのだと思います。

 しかも、母は息抜きをしない。というか、息抜きにならない人なんです。

 男性作家がよく、一仕事終わったらゴルフに行くとか、銀座で一杯やるとか、徹夜で麻雀するとか言いますけれど、一切そういうことはない。いわゆる息抜きには興味がありません。

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