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 まさにイノシシなんです。出かける必要があっても、まっすぐ用事に向かって行って、終わればまっすぐ帰って来る。お茶を飲むとかついでに食事をするってことがありません。

 ある時、母がパッチワークに目覚めたことがあります。それも、誰かの作品を見て作りたくなった、ということではありません。昔気質ですから、何かに使おうと思って端切れを捨てずに取ってあったんですね。それが一杯たまって邪魔になってきたけれど、捨てるのはもったいないから嫌だ。だからパッチワークにしてしまおう、という発想です。

カンフー編。本気がにじみでる

 そうなると、今度は死にもの狂いでパッチワークをやり続けるのです。夜は原稿を書いていますから、十一時頃に仕事を終え、家族が寝静まった後にやおら布を広げる。夜中の三時ごろまでパッチワーク職人に変身です。そうこうしているうちに、「パッチワーク道」が始まってしまうんです。普通はわざわざ布を買ってきてやるけれど、そんなのはパッチワークの真髄ではない。限られた古布の中で色の組み合わせを練りながら作るのが本道だ、というわけです。

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「たとえば、俳句は字数が決まっているでしょう。五・七・五。その中に天地を読み込むのが俳句の醍醐味です。パッチワークも同じなのです!」

 などと言い始める。

ブルマーで。運動会の整列にワンコも参加

 ある時、色彩の面白さを出すのだと言って、青味がかった古布ばかりを集め、そのところどころに赤味がかった布を入れる、という凝った作品を作り始めました。そうすると、母は「ここにこういう色が欲しい」と思い詰めるようになります。でも、自分の「パッチワーク道」に反するから、布を買ってくるわけにはいきません。

 丁度そんな時、母はバスに乗っていて、向こうをむいて立っている人のスカートに、まさに探していた色あいを見つけて、それが欲しくてしようがなくなったのだそうです。

「どうしてもあれが欲しくて、ハサミを持って行ってお尻のところを切り取りたい気持ちになったのよ」

 と言うのです。

 そのパッチワークの完成品は、北海道の別荘に今もあります。母が言うには、

「不器用だから、近くでよく見るとデコボコしているけれど、遠目に見ると、誰もが感嘆するような凄い作品ができたんです!」

 パッチワークに凝ったのは、莫大な借金の返済が終った後のことだったと思います。当時はそれが唯一の息抜きだった、と言っても、息抜きにはならないほど打ち込んでヘトヘトになってしまうのです。

 借金を返済したときのことを、母は、苦境に置かれるとなぜかムクムク力が湧いてくるのだ、と言います。

 艱難辛苦に遭うとエネルギーが湧いてくる人。

 母とは、この一言に尽きると思います。

 そんな母の唯一の楽しみだったわけですから、年賀状撮影がどんなにバカバカしくとも、私たちは耐えがたきを耐えて付き合うしかなかったのです。

孫と私の小さな歴史

佐藤 愛子(著)

文藝春秋
2016年1月8日 発売

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