麻布、栄光、筑駒、ラ・サールに“全勝”
第一志望の麻布の受験日は2月1日、合格発表は3日だった。そのため、2日に栄光、3日に筑駒と連日受験したが、結果は全て合格。さらには、合格者数を欲しがる塾から費用を負担するからと頼まれてラ・サールも受験し、ここも危なげなく合格を手にした。
「小学校のときは、なんだか窮屈さを感じていたんです。先生のルールとか、校則とか。だから麻布の自由さに漠然と憧れていて」。だが、父はサラリーマンで母は専業主婦。既に兄も私立校へ通っている。親からは、学費の面から国立の筑駒へ行ってほしいと説得された。
実は筑駒も、校則や制服がない自由な学校だ。しかも、麻布よりずっと少人数。――それならいいか。森林少年は素直に説得されて、筑駒へと進んだ。一度の敗けも喫しない全勝の受験、全能感に満ちた12歳の春。それは彼がAVの世界に飛び込む、7年前のことだった。
「クラス40人、全員が東大に行くって雰囲気でした」
筑駒生になるとは一体どういうことか。森林は入学直後のある出来事が印象に残っているという。「駒場東大前にある筑駒は、中学校舎と高校校舎に分かれてるんです。中学では1年生が3階にいて、2年生は2階、3年生は1階。高校では反対に、1年生が1階で、2年生が2階、3年生が3階っていう風にあがっていく。それで中学に入って初めての授業で、現国の先生が言ったんです。『なんでこうなってるかわかるか? ……3階からだけ、実は東大が見えるんだよ。だから中1と高3のときだけ、お前たちが東大を意識できるように、うちの校舎はできてるんだ』って」
今思えば、先生は冗談のつもりだったかもしれないと森林は振り返る。「でも、クラスのみんなが『その通りでしょう』みたいに聞いてるんですよ。そういうやつらの集まりでしたね。クラス40人、全員が東大に行くって雰囲気でした」。そんな“神童”の集まりであれば、熾烈な順位争いによって、校内がギスギスしていてもおかしくない。だが森林は、筑駒は本当に居心地の良い学校だったと語る。
「たとえば、数学オリンピックで金メダルとか銀メダルをとるやつがでてくるんですよ。でも、そいつらがメダルとったからって威張るのかというと、そうでもないんです。ただ『数学のことはそいつに聞けばいいよね』っていう、役割が決まるだけです。それぞれの個性があって、鉄道のことはあいつに聞こうとか、アニメのことはあいつだとか。それで馬鹿にすることもなく、それぞれの“得意”をちゃんと尊重しあうんです」