きょう3月28日は、俳優の伊武雅刀の誕生日だ。1949年生まれの68歳。勘違いしている人もいるかもしれないが、雅刀は「まさと」ではなく「まさとう」と読む。この芸名は、17歳でイプセンの芝居を上演したとき、当て字で「伊武専」と名乗ったのが原型だ。ここから伊武だけ残し、以後、雅之、雅乃、正己と変えていく。そのうち、姓名判断に凝っていた声優・井上瑶から下の字は2画がいいとアドバイスされ、雅刀に落ち着いた。「刀」の字を選んだのは、本人いわく「時代劇にも将来出たいからちょうどいい」との理由からだった(『週刊文春』2013年11月21日号)。
少年時代から映画館に通い詰め、俳優に憧れていた。しかし、映画に出られるまでには紆余曲折があった。東京の高校を中退後、父親の知人の紹介で名古屋の高校に入り直した。このころ、NHK名古屋制作の『高校生時代』のオーディションに合格して出演、事実上の俳優デビューを果たす。ちなみに森本レオとは、同ドラマで共演して以来、親交がある。その後、東京に戻って劇団の養成所を転々とするも、どこも肌に合わず、そのうちに自分で役者を集めて公演をするようになったという。
伊武といえば、その低音で渋い声から、声優などの仕事も多い。テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(74年)ではデスラー総統を演じる。これと前後して、FM東京(現TOKYO FM)でジャズ番組のディスクジョッキーを務め、スポンサーの資生堂のCMも自分で読んだ。さらに76年より小林克也、桑原茂一と始めたラジオ番組『スネークマンショー』は人気を集め、番組中のコントは、YMOのレコード『増殖』(80年)にも収録された。ただ、気がつけば映画俳優という目標からかなり外れてしまった。そこで30代前半には、『スネークマンショー』以外の声の仕事をすっぱりとやめる。映画デビューは、82年公開の『ウィークエンド・シャッフル』。87年にはスピルバーグ監督の『太陽の帝国』にも出演した。
もともと脇役ながら強烈な印象を与える役柄が多かったが、ここ10年あまり、髪の毛を剃り出してから、ますます独特の味わいを醸し出すようになった。先の『週刊文春』の対談によると、髪を剃ったのは薄毛が理由で、しばらくは黒い粉をかけてごまかしていたものの、面倒くさいから結局そうしたのだという。そのとき、役柄が偏るかもしれないと覚悟したというが、むしろ逆だったのではないか。いまでも善人から悪人までさまざまな役で、映画やドラマで名バイプレイヤーぶりを発揮している。