文春オンラインでもおなじみ、テレビっ子ライター・てれびのスキマさんがこのたび『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文春文庫)を刊行しました。

 有吉弘行、岡村隆史、香取慎吾、黒柳徹子、清水富美加、タモリ、友近、ふなっしー、宮沢りえ、百田夏菜子、レイザーラモンRG……、100人の有名人がテレビで発した「何気ない一言」。放送が終われば消えて行く言葉のなかに見える人物像、人生哲学とは一体どんなものでしょうか? 発売を記念して、今回は特別に、文庫収録された5つのコラムを全文公開します!

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©文藝春秋

 高田純次の「軽い」ように見える生き方はいま多くの人にとって「憧れ」の対象になっている。だが、高田は「意外と軽く生きてない」と反論する。そして自分の生き方を「明日の1万より今日の千円って考え方してるから」と端的に示した。

 高田といえば「適当」だ。あのタモリをして、高田を見ていると「不安を覚える」と言わしめている。

「(高田は)厚みをなくそうとか、目指してないように見えるんだよね。だからすごいんですよ。こっちは多少、目指してるところあるから」(※1)と。そして「ああいう人が、ちゃんと成立する分野がないと、やっぱり社会はおもしろくない」(※1)とまで絶賛されているのだ。

 高田は芸能人としては“遅咲き”だ。挫折、挫折の人生だったという。高校も大学も第一志望の学校に入ることができなかった。

「それで少し斜に構えて見てるところがあるのかもしれないね。期待しすぎないというか」(※2)

 デザインの専門学校に進学したが、就職も決まらなかった。そんな時たまたま観た演劇に感銘を受ける。高田は役者を志し、自由劇場の研究生に合格。だが、そこでも芽が出ず、同じ研究生だったイッセー尾形と劇団を立ち上げるが鳴かず飛ばずの日々が続いた。やがて夢を諦め宝石デザイナーとしてサラリーマン生活を始めると「新進気鋭のデザイナー」などと高評価を得た。しかし、30歳の頃、劇団時代の仲間だった柄本明やベンガルと偶然再会。「『魔が差した』としか言いようがない」(※2)と役者の夢が再燃し、会社を辞めてしまう。

 高田が注目されるきっかけは不慣れなバラエティの世界に飛び込んだ「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ)。そして「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ)で大ブレイクを果たした。

「時代の波というのが分からない。(略)とにかく目の前のものはとりあえず食いついていこうとする。だから、新しい波をつかまえることはできなくても、いつの間にか波を乗り越える船に乗り合わせている」(※2)

 人は過去の栄光に浸ったり反省したりしながら、未来を思い不安や希望を抱くものだ。それが人としての重みとなり生きる糧になる。しかし高田は挫折を繰り返し、先の見えない日々を送ってきたことで、過去や未来を考えても仕方がないという境地に至った。高田が「軽く」見えるのは、目の前のことだけに懸命だからだ。それは普通怖いことだ。高田流の「適当」とは今を刹那的に生きる覚悟のことなのだ。

(※1)WEB「ほぼ日刊イトイ新聞」04年1月2日
(※2)『適当論』高田純次(ソフトバンク新書)