「お友だちになりたいのね」紀子さまの“神対応”
90年6月にご成婚、翌年には眞子さまが生まれた。眞子さまが2歳になろうという93年8月、軽井沢で夏休みを過ごすご一家のワンシーンが忘れられない。
紀子さまが眞子さまを抱っこして、隣に秋篠宮さま。秋篠宮さまは長袖シャツ、紀子さまは半袖のブラウスとスカート、眞子さまは白い帽子と白い靴に、アップリケのついたロンパース。絵になるご一家だった。
そこへやって来たのが、散歩中のゴールデンレトリーバー。眞子さまが興味しんしんで手を伸ばそうとすると、いきなりジャンプした。驚いた眞子さまが「こわいー」と紀子さまにしがみついた。すると紀子さまは、こう言われた。「お友だちになりたいのね」。
今ならたぶん「神対応」と言われたはずだ。眞子さまが動物嫌いになることを防ぎ、「天皇陛下の初孫」に飛びかかった犬の飼い主も救える。究極の一言だ。賢く、優しいお母さんなのだと、誰もが思ったろう。この映像はテレビでヘビロテされ、94年に次女の佳子さまが生まれた時にも放送されたと記憶している。
雅子さまの長い「適応障害」の始まりがターニングポイント
2004年がターニングポイントになったことは間違いない。5月、皇太子さま(当時)から「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」という発言があった。雅子さまの長い「適応障害」の始まりだった。
その年の11月、秋篠宮さまが39歳の誕生日を迎えるにあたって記者会見を開かれた。秋篠宮さまの会見にはいつも紀子さまが同席する。その年も記者とお二人がやりとりし、その一問一答は宮内庁ホームページにも載っている。だが、そこから省かれている紀子さまの短い言葉がある。
記者から、「雅子さまは東宮御所での生活にさまざま苦労をしたとのことだが、お二人はそのようなことを感じたか」という趣旨の質問があった。秋篠宮さまは「苦労の意味を皇太子殿下本人に尋ねた」ことを明かし、それは普段の生活でもいろいろな人が働いていて配慮がいること、外出も容易でないことだそうだと述べられた。その上で、「私たちにそのような苦労があったかというと、主に私というよりも家内に関係するのかなと思います」と言われた。すると、紀子さまがすかさず、「あちらとは、規模が」と小さい声で挟まれたのだ。