雅子さまと紀子さま 対比的なお二人
皇太子さまの東宮家と秋篠宮家では立場が違い、予算も職員の規模も全く違う。このことは、紀子さまの「苛立ちの原因」などとして、のちに何度も報道されることになる。だが当時私は、兄夫婦に厳しい目を持っている秋篠宮さまの横で、紀子さまが優しく冷静に「前提の違い」を指摘したと感じた。秋篠宮さまの「家内」という表現も好ましく、二人にとって秋篠宮家は普通の「家」なのだなと感じた。そこは妻が、夫にためらわずに意見を言える家なのだな、と。
この年以来、皇室における雅子さまの苦悩が次々と明らかになり、紀子さまとの対比もクローズアップされるようになった。見事なまでに、という言い方は不謹慎かもしれないが、対比的な二人だった。社会人経験のないままに皇室に入った紀子さま。外交官という道を捨てた雅子さま。初恋の人との「キャンパスの恋」を実らせた紀子さま。一度は断ったプロポーズを、「皇室外交」という新たな道に期待をかけて承諾した雅子さま。
悠仁さまご誕生から、ますます複雑な構図に
紀子さまの、公務に子育てに励む姿から雅子さまを見れば、適応障害は「怠け」に見える。雅子さまの、自己実現を果たせずもがく姿から紀子さまを見れば、その日々は無批判な「過剰適応」に見える。06年9月、秋篠宮家に長男・悠仁さまが生まれてからは、ますます複雑な構図となった。天皇家には41年ぶりの男子誕生という慶事だったが、「本来、長男の嫁たる仕事を次男の嫁がしてしまった」というストーリーとして、過剰に読み解かれることになる。
16年に上皇陛下が退位の意向をにじませる「おことば」を発表され、翌年にお代替わりが決まると、雅子さまの活動が徐々に増え、紀子さまへのバッシングが目に見えて増えていった。
林さんの「皇室顔」という表現が気にかかり、ある報道写真の検索サイトで紀子さまの写真をチェックしてみた。「秋篠宮 紀子さま」と入力してヒットした写真は、婚約前のものから直近まで4000点以上。紀子さまが婚約会見で見せた「心からうれしそうな笑顔」はいつ消えたのか。そんな目で見てみた。