きょうは歌手の坂本冬美の誕生日である。1967年生まれなのでちょうど50歳。また、デビュー曲「あばれ太鼓」を20歳になる直前にリリースしてからも、今月4日で30周年を迎えた。坂本は和歌山県生まれ。高校卒業後、NHK『勝ち抜き歌謡天国』に出場した際に作曲家・猪俣公章(こうしょう)に認められ、内弟子を経てのデビューだった。契約したレコード会社・東芝EMI(現ユニバーサルミュージック EMIレコーズ・ジャパン)は演歌に進出して日が浅かったが、熱心なプロモーションにより「あばれ太鼓」は半年で50万枚を売るヒットとなった。
デビュー前から、坂本の歌声に魅せられたミュージシャンがいる。あの忌野清志郎だ。同じく東芝EMIと契約していた忌野は、同社本社で取材を受けていたとき、たまたまロビーで歌う坂本を見てすっかり惚れこみ、いつか一緒に仕事をしてみたいと思うようになる(大下英治『坂本冬美 火ざくら伝説』双葉社)。その夢は早くも翌88年、忌野のバンドRCサクセションのアルバム『カバーズ』の収録曲「シークレット・エージェント・マン」(ジョニー・リバースのカバー)に坂本をボーカルに迎えることで実現した。ただし、このアルバムは、原発を歌った曲が原因で、べつのレコード会社からリリースされている。
89年にも、ロックイベントのため特別に組まれたバンド「S。M。1」で、忌野がギター、坂本がリードボーカルを務めた。これを布石として、91年には、忌野・坂本にプロデューサーとして細野晴臣が加わり、「HIS(ヒズ)」というユニットが結成された。そのアルバム『日本の人』では、「S。M。1」でカバーしたビートルズやジミ・ヘンドリックスのナンバーのほか、「逢いたくて逢いたくて」「500マイル」などロック、歌謡曲、フォークとさまざまなジャンルの名曲を、坂本がときにはこぶしを込めて歌いあげた。オリジナル曲「夜空の誓い」はシングルカットされ、パルコのCMでも使われている。3人はその後、2005年に坂本名義でリリースされた「Oh,My Love~ラジオから愛のうた~」で再び結集、翌年にも忌野のライブやテレビ番組に出演した。忌野が09年に亡くなったため、活動が立ち消えになったことが惜しまれる。
昨年、坂本は対談でデビューからを振り返り、「自分は演歌歌手になりたくてこの世界に入ったのに、清志郎さんをはじめ、多くの方との出会いによって、色んな可能性を引き出していただいたなって思うんです」と語った(『週刊文春』2016年3月10日号)。代表曲としてあげられるのも、歌人・林あまりが作詞した「夜桜お七」や、フォークデュオ、ビリー・バンバンのカバー「また君に恋してる」など、いわゆるド演歌ではない。デビュー30年目を記念して昨年3月にリリースされた両A面シングルも、王道演歌の「北の海峡」と、作曲家・新垣隆が歌謡曲に初挑戦した「愛の詩」という組み合わせだった。