『ネイチャー』の「日本イケてねーなバーカ」という記事
先日、イギリスの権威ある科学雑誌『ネイチャー』で、我が国日本から出される重要な科学論文が大きく減少していると指摘する記事が出ていました。「世界のハイレベルな68の科学雑誌に掲載された日本の論文の数」が過去5年で8%減少し、英ネイチャー誌は「日本の科学研究がこの10年で失速しており、世界の科学界のエリート(を輩出する日本)の地位が脅かされている」とかいう内容です。まあ、簡単に言えば日本イケてねーなバーカという。少しでも大学に関わり合いのある人ならば「うるせえな、分かっとるわ」で終わる内容です。でも、世間さまはそういう話でもおおいに動揺する。科学者は何をしているのか。日本はもう駄目なんじゃないか。科学立国なんてもう無理じゃないかと言い始めるのです。何が悲しくてイギリスごときにDISられているのか分かりませんが、まあ事実ですから受け止めざるを得ないでしょう。お前らだって良く分からないうちにEU離脱になったくせに。ちくしょう。
その一方で、日本の科学者たちを代表する組織である日本学術会議は、防衛省の研究助成制度に関して、政府による介入が著しく問題が多いとする新たな声明を発表して物議を醸していました。もちろん、日本学術会議は太平洋戦争参戦への反省もあり「軍事目的のための科学研究を行わない」という大きな方針を掲げているだけに、昨今の防衛省の学術研究予算が増えたことで大学の研究に影響力を与え始めたことに警鐘を鳴らさざるを得ない部分はあるのでしょう。まあ、気持ちは分かる。でも軍事研究だから一律NGとするならば、そもそも軍事研究の賜物であったインターネットも使えませんし、逆に数十cmの雲の密度を測定できるワイドバンドの気象衛星の技
「安全だが安心ではない」という感情論に流れる仕組み
ここに大きく横たわるのは、先端的な学術研究と、一般的な人々の知識や興味、関心の落差をメディアが埋め切れてないんじゃないの、という懸念です。一般誌や全国紙、テレビ番組で、日本の科学技術がどうあるべきかを論じるような記事や番組はデスクやプロデューサーの英断で掲載できたり放送できるとしても、それが多大な関心をもって受け手に届くかというとまずあり得ないわけです。仕事や学校に行く亭主や子供を送り出してホッとしてテレビをつけた主婦が観たいのは芸能人の不倫であり殺人事件であり隣の韓国朴槿恵大統領の罷免であり森友学園理事長の証人喚問です。間違っても、有為な人材が予算不足や制度の硬直化によって無駄な雑務に追われて研究できる時間もカネもなくて論文が書けないので、日本の大学や研究機関の世界的な地位が低下しているよ、というネタではないのです。そればかりか、世の中の複雑な社会現象は往々にして表層的な事件で一面的に斬られることになります。雑誌だとワイド特集、テレビ番組だと雛壇芸人や情報バラエティがいろんな議論を呼び起こすのも、分かっている人からすれば浅すぎる情報しか流さないし、深い情報を流そうとすると読み手や視聴者がついてこないという現状があるからです。
その結果、それこそ小池百合子都知事が自前のプロジェクトチームですでに豊洲新市場の建物も土地も安全であると宣言しているにも関わらず、謎の「安全だが安心ではない」という感情論をブチ挙げる現象に至ります。科学とかどこいったんだよ。しかも、それを都民が「小池さん、よくやった」と支持率8割近くとか凄いことになっているのも、恐らくは科学的に安全だから操業しても問題ないというマジモンの事実はどうでも良いからでしょう。もちろん小池女史なりに必死に風を読んで判断しているのでしょう。ただ、自民党都連や東京都庁組織との対決姿勢を取り、左は共産党まで幅広く支持を集められる状況ならば、確かに小池女史は来たる都議会選挙で圧勝することもできましょう。百条委員会で呼び出された石原慎太郎さんがいみじくも叫んだ「科学が風評に負けるのは恥」は、そのまま英ネイチャー誌に指摘された日本の科学の停滞と被ります。お年寄りに正論言われて辛い。そりゃ真面目に科学を突き詰めても、いくら正しいことを語ろうとも、100%正しいのはこれだと裏付けることができたとしても、世の中は声のでかい、見栄えの良い、耳障りの軽やかな、甘い言葉の並んだスローガンが勝つのです。