脚本を書いていた頃はブラック・ジャックのキスシーンを書いて叱られました(笑)
――森さんは児童文学の専門学校を卒業して、22歳くらいでもう作家としてデビューされていますよね。いつシナリオライターをされていたのですか。
森 児童文学の専門学校を卒業する直前か直後くらいですね。急にシナリオライターになったんですよ。実は専門学校の終わりぐらいに、ある劇団のお手伝いを始めたんですね。その劇団の主宰の方がアニメーションのシナリオを書いている方だったんです。それで「うちはお金がなくてバイト料を払えないから仕事を紹介するよ」と言われて、急にアニメーションのプロデューサーに引き合わされたんです。その人、大胆なはったりをかまして、私のことを「すごいベテランです」とかいって紹介したんです(笑)。しかもその監督が、「エースをねらえ!」とか「あしたのジョー」とかの出﨑統監督だったんですよ。
出﨑監督ってすごく厳しい人で、全13話のビデオシリーズをやることになっているのに、最初に立ち上げた時のシナリオライターが全員逃げちゃって、誰もやる人がいないという段階で。私に紹介した人も、私に押しつけて逃げたんですよ。それで5話目から私が書き始めて。結局5話から13話までずっと書き続けました。
――みんなが逃げたものをやりきったわけですよね。すごいですよ。でもシナリオの書き方を習う暇もなかったわけですよね。
森 書き方は「これがね、柱って言って、これがト書きで、これがセリフで」みたいな感じで教わっただけでしたよ(笑)。監督はシナリオライターとああだこうだやっている間に頭の中を整理していく方だったので、私は本当のプロとしてシナリオを作るというより、監督が大きな木を植える前にそのへんの雑草を引っこ抜くのが自分の役目だと思っていました。新人だし、あまり何を言われても気にしないというか。
その後も、「ブラック・ジャック」とか、手塚プロダクション系の仕事を結構やりました。でもブラック・ジャックのキスシーンを書いたら「なんでブラック・ジャックがキスするんだ」ってシナリオ会議でけちょんけちょんでしたし、「アンパンマン」もやったのですが、私が書くとパトロール中にすぐ「疲れた」とか言うので「アンパンマンはそんなこと言いません」って怒られました(笑)。
――すごいなあ。そもそもですが、児童文学の専門学校に入ったということは、作家になりたかったのですよね?
森 そうなんですよ。シナリオを書きながらも、やっぱり作家になりたいなという気持ちがあったので空いた時間に小説も書いていました。それが児童文学だったのは、学校ありきというところもあります。私、中学から高校まで遊び続けていて全然大学に行く学力もなかったし、かといって就職もしたくなくて進路が決まらなかったんです。見かねた友達が専門学校のカタログみたいな本を貸してくれて、「このなかのひとつくらい、行きたいところがあるんじゃない?」と言うので見てみたら、「児童教育文学の専門学校」「あなたも作家に」ということが書いてあったので、ここに通ったら作家になれるのかな、じゃあやってみますか、という感じで始めたんですよね。専門学校では創作もしましたし、作家論とか、英米文学論とか、いろいろな授業がありましたね。学習としての児童文学と創作としての児童文学の両方を教わりました。
――卒業して、シナリオを書きながら児童文学を書いて、新人賞に応募して……。
森 専門学校の2年間の2年目の時に、講談社児童文学新人賞の最終選考まで残ったんです。その時に、デビューするんだったらこの賞がいいなと思って。そこに応募する原稿を、シナリオを書きながら書いていました。卒業して2年目かな、『リズム』(1991年刊/のち青い鳥文庫、角川文庫)で賞をいただいて、デビューしたんです。
――『リズム』は講談社児童文学新人賞のほか、椋鳩十文学賞を受賞しましたよね。中学1年生の女の子、さゆきの日常が描かれています。どういう話を書こうとイメージされていたのですか。
森 最初、専門学校に入った頃は、誰もがそうであるように、動物の子の話とかを書いていたんです。熊の子が森に行って、みたいな話(笑)。でもだんだん、私が書くのはファンタジーじゃないなと思い始めて。試しに一回、普通のいわゆるリアリズムといわれる日常生活に基づく話を書いてみたら、わりとフィットしたんですね。なので等身大の、特別じゃない普通の子を書きたいなという気持ちがすごく高まってきて。児童文学の中に出てくる子どもって、すごくいい子か、すごく尖がっているか、わりと極端な子が多い気がしたんです。でも多くの子はもっと普通の子で、その普通さの中でもがき苦しんだりしている。そういう、普通の子の話を書ければいいなという気持ちになっていきました。
――さゆきちゃんの年齢を13歳の中学1年生にしたのはどうしてだったのですか。
森 中1の1年間って、すごく大きいですよね。中2になるとクラスの中でヒエラルキーが確立されて、誰が上で誰が下とかいうふうになっていく。でも中学1年生の頃って、ちょっとまだ混沌としていますよね。小学生時代を引きずりながら、みんながまだ中学校に溶け込んでいなくて、そこがフレッシュで初々しく感じられたんです。
――では、その次の『ゴールド・フィッシュ』(91年刊/のち青い鳥文庫、角川文庫)で中3になった彼女を書いてみたいと思ったのは。
森 中1の時に、いとこのお父さんとお母さんが離婚してしまう話が出てきたので、それと対にするような形で、中1の時に書けなかった部分を中3で書くことにしました。考えてみると、『リズム』でよく新人賞を獲れたなって思います。今だったらああいう素朴な話は無理ですよね。今は結構、練り上げられた作品が多いので。
――そういう流行みたいなものってあるんでしょうか。でも森さんの書く児童文学はずっと読み継がれていますし、大人の読者も多いですよね。
森 大人が読んでも面白いものでもあればいいなとは思っていました。ただやっぱり、一番面白いと思ってほしいのは、ティーンエイジャーの、私が対象としていた年代の子どもたちです。中学生の頃ってみんな、飽きっぽいじゃないですか。本を開いて2、3ページでも面白くなかったら閉じちゃって、二度と開いてもらえない。そういう子どもたちが面白いと思う本だったら、大人も面白いと思うんじゃないかな、というのがありました。
――次の『宇宙のみなしご』(94年刊/のち角川文庫)までちょっと間が空きますね。
森 すごく早すぎるスランプがありました。ちょうどシナリオと並行して書いていたわけですが、シナリオの書き方と小説の書き方ってまったく違うんです。ふと気が付くと小説の書き方ができなくなっていたんですね。それで、書いても書いても自分でしっくりこないし、どうしようかなと思って。いったんシナリオをやめて、1年間イギリスでブラブラしてきたんです。行きの飛行機の中で、『宇宙のみなしご』の冒頭8行が浮かんで、それをメモ帳に書いて、1年間向こうでは何も書かないで(笑)、英語学校に通いながら美術館行ったり、周辺の国に行ったり、ずっと夏休みみたいに過ごして遊んで帰ってきて。そうしたら嘘みたいに調子よく書けたんです。それがあるから私、あんまり焦りというのがないんですよね。こういう仕事って「1年で最低でも何冊か出さないと忘れられちゃうから」とよく言われるんですけれど、私はその3年間の空白があったので、忘れられても、また思い出してもらえればいいと思えるので、マイペースでできるのかもしれません。
――その『宇宙のみなしご』で野間児童文芸新人賞と産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞されたんですよね。その次の『アーモンド入りチョコレートのワルツ』(96年刊/のち角川文庫)では路傍の石文学賞を受賞。これは表題作がすごく印象に残っています。主人公の女の子の歌うピアノ教室の先生のところに、ちょっと個性的なフランス人のおじさんがいるようになる。つまり二人は恋人同士なんだろうけれど、子どもの頃に読んでいたら、自分はこの二人をどんなふうに思っていたんだろう、と思います。
森 この本は本当、ピアノ曲からイメージして膨らませたもので、表題作もサティの曲のイメージでしたね。だから、あの話はサティの影響が大きかったんでしょうね(笑)。あのおじさんは結構いい加減な人だったんだと思うんですけど、それでも子どもの目にかなう本物の変わり者だから憎めないといいますか。
――他の作品でも、大人の生々しいところとか、子どもの後ろめたい感情とかリアルに描かれるなあと思っていて。野間児童文芸賞を受賞した『つきのふね』(98年刊/のち角川文庫)も、万引きグループだったり放火事件だったりとドキリとする出来事が取り上げられますよね。同じ年に刊行された『カラフル』(98年刊/のち文春文庫)は産経児童出版文化賞を受賞されていますが、これも、死んだ主人公が天使業界の抽選に当たって自殺を図った少年の身体にホームステイする話で、大人の不実な話も出てきます。
森 順番としては、『カラフル』を先に書いたんですよ。出版の順番は後なんですけれど。『カラフル』を書いた時、あれはあれで物語としてはいいんだけれども、もしも本当に中学校とかで、殺伐とした状況の中でキリキリしている子どもにとって、『カラフル』ってどこまでの力を持ちうるのかなと考えた時、もう少し違う角度からのアプローチで、子どもたちのこうした問題を書いてみようと思ったんです。
わりときわどい問題を出すのはなぜかというと、実際にこの世の中にきわどい問題があるからです。本の中だけが安全に守られた、綺麗なものだけの世界にはしたくなかった。『カラフル』を書いていた時は援助交際が問題になっていたし、『つきのふね』の時はリストカットなどの問題がありました。それらはもう普通にあるものとして書いていきたいんですよね。
読者の子どもたちはどう受けとめているのかなと思ったら、なんとなく「この本は自分には早いな」と思ったらあえて読まなかったりと、自分で調整している感じがあります。だから書き手が下手に気をもむよりは、読者に任せるという形ですね。