愛する人と出会う確率が「リスク」を超えるとき
では、安全も安心もどうやって決めればいいのでしょうか。どちらも人間の感覚に依拠する部分が大きいのだとすれば、つまるところ、人間同士の「納得」しかないと思います。例え話として的確かどうか定かではありませんが、この質問を頂いたときに、自分は思わず日本映画「ハッピーフライト」のワンシーンを思い出しました……。
いよいよハワイ便が出発という間際で、新婚旅行で搭乗していた女性の乗客が悲鳴を上げて、飛行機を飛び出して、空港トイレに閉じこもり泣きじゃくります。彼女は飛行機に乗るのが初めてで、墜落(←リスク)が怖いので乗りたくない!(←不安=安心できない)と言うのです。花婿や地上勤務員たちがいくら説得しても岩戸隠れのごとく彼女は出てきません。そこでベテランの地上勤務員がやってきて、自動車事故と航空機事故の発生確率を比較して、その安全性を説きます(←安全)。どんなに事故の確率が低いと言っても、自分がその「偶々(たまたま)」に当たるかもしれないじゃないか!と彼女は反論します(←安全と安心の齟齬……)。そこでベテラン地上勤務員はさらにたたみかけます。
「愛するご主人と出会う確率の方がよほど低くて奇跡的な出来事。そんな運命の出会いで得たご主人との、一生に一度の思い出作りをふいにしてもいいのですか?」
これを聞いた花嫁さんは号泣してトイレを飛び出し、花婿さんにしがみつく……で、二人は無事にハネムーン旅行に出発する……(以上、記憶に基づく)。このケースでは花嫁さんのなかで、「愛する人との思い出」という利益(ベネフィット)が、航空機事故という小さなリスクを遥かに上回ったことで、納得がいったのでしょう。
豊洲の問題を専門外の人間が簡単に語ることは出来ませんが、この十分に「納得のいく説明」というものが、豊洲移転について、未だ、どこからもなされていないことが、問題解決を滞らせている原因なのであろうと、個人的には考えます。
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