東芝が、半導体メモリー事業を分社化し、きょう4月1日をもって新会社「東芝メモリ」に継承する。新会社の設立の狙いは、同事業の株式の過半数を売却し、経営危機に陥った東芝本体の再建を図ることにある。
日本を代表する総合電機メーカーが存続の危機にまで追いこまれた発端は、2015年に不正会計が発覚したことだ。同年7月には経営陣が引責辞任するも、さらに11月には、東芝傘下の米ウエスチングハウス(WH)による多額の減損隠しを、『日経ビジネス』誌がスクープする。ウエスチングハウスは、東芝の原子力事業を担っていた子会社で、2006年に巨額の費用を投じて買収された。不正会計は、原子力事業の不振から、それをカバーすべく画策されたものであった。
一連の東芝問題の発覚後、同社の業績は悪化の一途をたどり、社員の早期退職などリストラ策が進められる。昨年には医療機器子会社はキヤノンに、白物家電事業は中国・美的集団に売却された。大幅な債務超過の原因となったウエスチングハウスは去る3月29日、米連邦倒産法第11章(日本の民事再生法に相当)の適用を申請。これにともない、東芝の2017年3月期の連結最終赤字は1兆100億円程度と、国内製造業としては過去最大の赤字となる見通しという。
東芝の前身は、発電機など重電機を中心に発展した芝浦製作所と、白熱電球をはじめ軽電機の分野で拡大した東京電気という二つの会社である。両社は1939年に合併し、東京芝浦電気となった(東芝に改称されたのは1984年)。
合併以来、何度か重大な危機も経験した。終戦直後、軍事部門の消滅から大規模な人員整理案が持ち上がったときには、労働争議が激化する。また、東京オリンピックの翌年の1965年の不況下では、深刻な業績不振に陥った。さらに1980年代には、半導体をめぐり欧米各国との貿易摩擦が激化するなか、関連会社が当時の共産圏へ禁輸品の輸出を行なっていたこと(ココム違反事件)が発覚、東芝本体も窮地に追いこまれる。しかしいずれの危機も、大規模な組織改革により克服してきた。
おととい3月30日には、臨時株主総会が開かれ、正式に半導体メモリー事業の分社化が決議された。このとき、株主から「東芝の『東』は東京電気、『芝』は芝浦製作所からとった。ところが、東京電気側の事業が全部消えた」との声があがったという(「SankeiBiz」2017年3月30日付)。もちろんこの発言は、ここ数年で医療機器、家電、そして半導体メモリーと東京電気以来の軽電機部門からの事業撤退があいついだことを指す。企業としてのアイデンティティが揺らぐなか、東芝は創業以来最大の危機からいかにして脱却するのか。