いまから56年前のきょう、1961年4月3日、NHKテレビで5分番組『みんなのうた』の放送が始まった。一説によれば、アニメーションをつくっていた和田誠や久里洋二らのあいだで、「テレビで短編ミュージカルのようなものをアニメでやったら面白いんじゃないか」という話になったのが企画の発端だという。とはいえ、5分の曲を一人のアニメ作家がつくるとなると、大変な作業だ。そこで、実写映像で構成される曲と、オリジナルアニメによる曲と、2曲あわせて5分間の番組となったらしい(NHKエンタープライズ+伊藤守編『NHKエンタープライズ「早稲田大学寄附講座」講義録 テレビの未来を拓く君たちへ』NHK出版)。

 最初に放送されたのも、和田誠のアニメによるオリジナル曲「誰も知らない」と、実写映像で構成されたチェコ民謡「おお牧場はみどり」という組み合わせだった。開始当初の60~70年代は、外国の民謡や唱歌を日本語に訳した曲も多かった。このころ番組で紹介された曲には、フランス童謡「クラリネットこわしちゃった」(63年)の石井好子(シャンソン歌手)、イディッシュ語の歌曲「ドナドナ」(66年)の安井かずみ(作詞家)など、意外な人が訳詞したものも目につく。62年と73年にバリトン歌手の立川澄登が歌ったアメリカ歌曲「大きな古時計」は、02年にやはり同番組で平井堅がカバーして大ヒットとなった。

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『みんなのうた』ではこのほかにも、「北風小僧の寒太郎」(74年・堺正章/81年・北島三郎)、「さとうきび畑」(75年・ちあきなおみ/97年・森山良子)など、歌手を変えて放送された曲がいくつかある。このうち堺正章版の「北風小僧の寒太郎」は、ほぼ毎年冬が来るたびに放送され、再放送回数で最多を誇る(『NHKみんなのうた愛唱歌集 1961~1985』NHK出版)

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 のちには既存の曲は扱わず、番組のために曲を映像とともにつくるというのが基準となった。人気ミュージシャンやアイドルを起用した歌も多い。「コンピューターおばあちゃん」(81年)はYMO時代の坂本龍一が編曲し、「メトロポリタン美術館」(84年)は作詞・作曲・歌を大貫妙子が担当、岡本忠成による幻想的な人形アニメも印象に残る。シブがき隊「スシ食いねェ!」(85年)、SMAP「ベスト・フレンド」(92年)、椎名林檎「りんごのうた」(03年)、宇多田ヒカル「ぼくはくま」(06年)、アンジェラ・アキ「手紙~拝啓 十五の君へ~」(08年)、いきものがかり「YELL(エール)」(09年)などもこの番組から生まれた。

坂本龍一も「みんなのうた」アーティスト ©近藤俊哉/文藝春秋

 時代を越えて歌い継がれる曲には、あらためて聴くとその深さに気づかされるものも少なくない。やはりヒット曲となった「山口さんちのツトムくん」(76年)は、作者であるシンガーソングライターのみなみらんぼう自身、あとあとになって、早くに亡くした母親に帰ってきてほしいという気持ちを、この歌に託していたことに気づき涙したという。これにかぎらず、人々の心に寄り添う歌を、いまなお『みんなのうた』は送り続けている。