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1986年にも中央工業団地は水没していた

 福島県で戦後最大の水害とされてきたのは1986年8月4日~5日の「8・5水害」である。

 この時、中央工業団地はスッポリ水没した。

「市にだまされた」。そう批判する進出企業もあった。

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積み上げられた救援物資(郡山市) ©葉上太郎

 現在も工場を構える「パナソニック」(発災時は松下電器産業)の当時の社長は、市長を訪ねて「再びこのような災害のないように恒久対策をくれぐれもお願いしたい」と強く要請した。

 にもかかわらず今回、また全域が水没した。阿武隈川が堤防を越水しただけでなく、谷田川が破堤して、1階の天井まで浸水した企業もあった。

「そんなの、あなたが調べればいいじゃないか」

 市の「恒久対策」とは何だったのか。市担当者に尋ねると、「少なくとも8・5水害以降に進出した企業は土地のかさ上げなどの対策を取っている」と言う。聞きたかったのは企業の自衛策ではない。誘致した市がどんな責任を果たしたかだ。重ねて質問すると、担当者はイライラを募らせた挙句、「そんなの、あなたが調べればいいじゃないか」と言い放ち、明確な回答をしなかった。

印鑑なども洗って使わないと事業が継続できない(郡山市・中央工業団地 東北テック) ©葉上太郎
完成していた家具も廃棄物に(郡山市・中央工業団地 クラムジー・アロー) ©葉上太郎

 現地で取材すると、8・5水害の後に進出した企業でも、浸水対策をとっていなかった社がいくつもあった。水害を嫌って転出した企業の社屋をそのまま使い、被災したのである。営業車を避難させなかったため、身動きすら取れなくなった企業もあった。

 市は十分に危険性を広報していたのか。せめて今回、車だけでも避難させるよう呼び掛けられなかったのか。

 一方、同じ阿武隈川流域でも大きな被害を免れた市がある。下流の福島市だ。小河川の決壊で100軒ほど被災したものの、8・5水害で「海のようになった」(市職員)地区は助かった。

 これには、市としての構えに違いがあったと話す人がいる。