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小室哲哉を「終わらせた」

 最近、小室哲哉さんが「ヒカルちゃんが僕を終わらせた」と語っていました。これは彼女の才能に対する最大限の賞賛だと思います。彼女が登場した頃の日本の音楽界は小室さんや小林武史さんなどのプロデューサーが牽引し、大ヒットを飛ばしていました。でもそんな彼らですら、宇多田ヒカルの天才性、溜めこまれたマグマが爆発するような衝撃の前には、脇役に回らざるをえなかった。宇多田ヒカルは、作曲家としても作詞家としても、そしてシンガーとしても超ド級の才能でした。その曲は、洋楽的でありながら、マニア向けだけにおさまらない開かれた感じがありました。そして詞にはどこか日本的な切なさ、恋愛の普遍的な心情が描かれていた。彼女の書く詞は、あきらかにフィクションなのに一粒のリアリティがある。15歳らしさと、大人びた視線の両方を合わせ持っていました。たくさんの名作文学を読んできたということもその詞から伝わってきます。

”懐かしさ”と程よいルックス

 そしてさきほども言ったように黒人っぽいグルーブ(歌い回し)を持ち、同時に少女らしくみずみずしい歌声。よく比較された美空ひばりは、子どもらしからぬ声質と歌唱で人気になりましたが、あの頃の宇多田ヒカルには子どもらしい声と成熟した歌唱という対照的な要素を兼ね備えた魅力がありました。もうひとつ大ヒットの理由をあげるとするならば、彼女の歌は新しいだけではない“懐かしさ”も含んでいたということでしょう。だから有線で演歌のあとに流れても、まったく違和感がなかった。だからこそ全世代的に彼女の歌が受け入れられたのです。

 ルックスもよかった。意志の強さを感じさせる美しい目を持っている。絶世の美女ではないかもしれませんが、リアリティ、親しみやすさを感じさせます。シンガーは女優ではないので、聞き手に近い、手が届きそうな感覚というのも大切だと思っています。

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©getty

 僕は、すぐれたポップミュージックとは、失恋の歌でも悲しいバラードでも、聞いたあとに「明日からがんばろう」と思えるものだと考えています。歌で美しい心を表現し、生きることを肯定できるのは、誰もができることではありません。その才能を間違いなく彼女は持っていたし、いまももちろん持っているでしょう。天才の大噴火の瞬間に立ち会えたのは、素晴らしい体験でした。この数年、寡作となっているのは残念ですが、最近は子どもも産んで、強い生命力を感じます。近々また復活して素晴らしい歌を届けてくれるでしょう。僕はそう信じています。