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非難する人も、擁護する人も

 結局、J.T.リロイという現象自体が、すべてフィクションだったとわかった。ニセのイギリス・アクセントを使っていたスピーディは、ニューヨーク出身のローラ・アルバートで、彼女が巧妙な計画の首謀者だとされた。J.T.リロイの作品に関わるなど、経済的ステークのあった人の多くは、怒りの声明を発表した。性的虐待を受けた、性転換をしている、HIVの感染者であるーーなどの触れ込みとともに世に出たJ.T.リロイを信じたLGBTコミュニティは、ローラ・アルバートを非難した。J.T.リロイを支持した人のなかには、「作品が優れているのだから、何が問題なのだろうか?」と援護するような立場をとった人もいた。メディアは、「小説よりも奇」なローラのストーリーをこぞってとりあげた。

 私はといえば、不思議と驚きはなかったし、むしろ市井の女性がカリスマのキャラクターを作り上げて、文學界、映画界、音楽界をだましたのだと思うと、痛快な気すらした。結局、映画を制作した会社が、ローラを相手取って詐欺の民事訴訟を起こし、35万ドルの支払いを受けた。その裁判の結審が一応のエンディングとなった。そして、事件は少しずつ世間から忘れ去られていった。

 そして10年以上が経った2016年、ドキュメンタリー作家のジェフ・フォイヤージークが「作家、本当のJ.T.リロイ」を発表した。日本でも4月8日から公開されている。この作品は、J.T.リロイがブレイクする以前から、自分以外のキャラクターとして、精神科医や福祉サービスに電話をかけていたローラが、どうやってJ.T.リロイを世の中に送り出し、アバター(替え玉)を用意して、虚構の物語を押し通し続けたかを、セレブや関係者とJ.T.リロイの電話の録音やインタビューを通じて再構築するものだ。自己嫌悪の結果として生まれた嘘の物語が、世間に発見され、ひとつのサクセスストーリーになる過程が当事者の側から語られる。浮かび上がるのは、自己嫌悪の果てに自分以外の何者かになることを切望し、それに偶発的に成功したローラ・アルバートという女性と、いとも簡単に辛い物語を信じてしまった大衆の姿だ。

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若い頃のスピーディ(左)とパートナーの“アスター”© 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.

 J.T.リロイの作品では、たびたび、顔をそむけたくなる辛いことが起こる。子供に起きる現実として受け入れがたいようなことが。そして世間は、それを本当に起きたこととして受け止め、J.T.リロイをもてはやした。決して緻密とはいえない穴だらけの欺瞞が、6年近くも発覚せずに独り歩きしたのは、大衆の側にも、この過激で辛い物語が真実であるということを信じたい気持ちがあったからに違いないのだ。結局のところ、ローラ・アルバートは、自分のストーリーを語ることに、2度成功したことになる。一度めは、J.T.リロイという自分のなかに住む架空のキャラクターを通じて、そして二度めは、世間を欺いた己のストーリーを映画を通して伝えることで。そう考えると、自分を含めた多くの人間が、ローラのストーリーに二度、引きこまれてしまったという事実は、人の痛みを切望する大衆と、表層的な社会への痛烈な皮肉と受け止めるべきだという気がしている。

INFORMATION

映画『作家、本当のJ.T.リロイ』
2017年4月8日(土)より、新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開
監督:ジェフ・フォイヤージーク
http://www.uplink.co.jp/jtleroy/