2005年、「アメリカ文学史上最大のペテン」と呼ばれる事件が起きた。
J.T.リロイの筆名で『サラ、神に背いた少年』『サラ、いつわりの祈り』(米日ともに1999年刊行)とベストセラー作品を叩き出し、ミュージシャンやセレブたちの支持を得て、一大センセーションを巻き起こしたミステリアスな美少年作家が、40歳の女性が作り出した架空の人物だったことが明らかになったのだ。
ウィノナ・ライダーもだまされた
幼い頃にペニスを切り落とされ、実の母親に男娼になることを強制されて、高速道路沿いのレストストップで体を売っていた辛い過去を自伝的描写で描いた作品が、映画監督ガス・ヴァン・サントや、ミュージシャンのコートニー・ラブ、女優ウィノナ・ライダーなどの推薦でブレイクし、『サラ、いつわりの祈り』は、2004年にアーシア・アルジェントの手で映画化もされた。朗読会やメディアからの取材の対応には、いつもサングラスで目を隠し、ブロンドのかつらをかぶった少女のような少年が登場していた。少年のそばには、いつも「スピーディ」というあだ名のイギリス人女性が世話人として存在した。
1999年から2005年まで続いた「ペテン」が世間に暴かれたのは、「ニューヨーク」誌の「本当のJ.T.リロイは誰だ?」と題した記事がきっかけになった。疑惑は、翌年2006年の「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事によって証明された。世話人「スピーディ」を名乗っていたローラ・アルバートが、J.T.リロイの作品を書いていたことを、ローラのパートナーが認め、J.T.リロイ役を自分の妹であるサバンナ・クヌープが演じていたことを明らかにしたのだ。
実は私もJ.T.リロイにインタビューした
実は、私自身も、J.T.リロイ事件に少しだけ関わった経験がある。2004年、「サラ、いつわりの祈り」映画版が日本で公開されるに先立ち、J.T.リロイにインタビューしたのだった。ロサンゼルスで行われる映画のイベントに出席するJ.T.リロイをキャッチすることになっていた。現場に到着してみると、あちらはJ.T.リロイ、赤毛の英国人女性スピーディ、そして若い女性の3人組。その日のJ.T.は、サングラスもしていなかったし、かつらもかぶっておらず、ネルシャツに軍パンというカジュアルな出で立ち、ベリーショートのヘアに、唇の上にはピアスが光っていた。スピーディは、「じゃあ私たちいろいろやることがあるから、あとは二人で」と、私とJ.T.リロイを二人にした。時の人だとこちらも身構えていたので、意外にゆるい雰囲気には少し驚いた。
シャイだという触れ込みのJ.T.リロイは、たしかに饒舌とはいえなかったけれど、質問にはゆっくりと、丁寧に答えた。柔らかそうな唇から出る細い声に、「女の子みたいだな」と思ったことを覚えている。けれど、トランスジェンダーであれば驚くべきことでもない。深く考えもしなかった。
映画を見て、何を感じ取ってほしいと思うか?という問いには、「辛くなるような物語かもしれないけれど、すべて生の体験。僕の体験に似たような話がごろごろ転がっている。だけど、こういう話をテレビや映画で目にすることはない。嫌なことから目をそむけたくなるのは人間の本質だけど、虐待される子供がいるという現実を、誰かのせいにすることなく受け入れてほしい」と語った。別れ際に、「サラに作品を読んでもらいたかった」というので、「お母さんはどこにいるの?」と聞いたら、声をつまらせて「天国にいる」というように空を見上げた。事件が発覚した時、一番に思い出したのは、この瞬間だった。今振り返っても、あの演技力はなかなかのものだったと思う。