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「バルセロナ後の2年間、あまり記憶がないんです」

「バルセロナ後の2年間、私は心を閉ざしていて、あまり記憶がないんです。それに気づいたのはアトランタ五輪が終わって大学に入ったばかりの頃です。自分の中でようやく整理ができていた時期でした。私は心理学を専攻していて、教授に記憶がないことを打ち明けると『人間は嫌なことを忘れられるからこうやって生きていけるんだよ。だからきっと自分の中ですごいつらかった出来事だったんだね』と言ってくださった」

「あの2年間のことを友人に聞くと『学校では別に普通にしていたけど、帰り道とか1歩外に出るとずっと下を向いていたよ』と言われました。あんまり人と目線を合わせたくなかったんだと思うんです」

 自分の人生を引っ掻き回した金メダルと折り合いをつけるには、地獄のような2年間が必要だったという。

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©文藝春秋

 そして、金メダルと折り合いをつけた彼女は、その後も水泳とともに生きてきた。競泳のコメンテーターとしてメディアに登場し、子どもたちに水泳を教え、講演で自らの経験を語る。今では金メダルが自分の人生を豊かにしてくれたとも思っている。

41歳になって感じる「幸せ」とは?

 14歳で「一番の幸せ」を体験した岩崎恭子は「その後、幸せなことはありましたか?」と聞かれることが多いという。

 もちろん、幸せはあった。

 41歳になった彼女は、14歳のときの彼女と同じような爽やかな笑顔で言う。

「娘を授かったことは本当に私の人生で最大のことです」

出典:「文藝春秋」1月号

 バルセロナ五輪後の狂騒、有名な台詞への世間の反応に感じた反発、同じ水泳の道を歩んでいた姉・妹との関係、そしてシングルマザーとしてのこれからなどを語ったインタビュー「岩崎恭子 14歳の金メダリストの『天国と地獄』」は、「文藝春秋」1月号および「文藝春秋 電子版」に掲載されている。

文藝春秋

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岩崎恭子 14歳の金メダリストの「天国と地獄」