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『いいとも』生放送の醍醐味だった「マライア事件」

――小松さんは『ごっつええ感じ』、『SMAP×SMAP』、『笑う犬』とその当時の代表するコント番組を手がけているので、僕は勝手に「90年代のテレビコントは小松純也の世界である」っていう説を唱えてるんですが。

小松 いやいや、そこまではないですよ(笑)。ただ、そういう大きな流れの主要な要素に携わっていたという自負はあります。たぶん、時代とちょうど噛み合っていたんでしょうね。

――ちなみに、いつ頃から『スマスマ』にはかかわっていたんですか?

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小松 ハッキリ覚えてないんですけど、97年に『ごっつええ感じ』が終わって、半分失業者状態になったんですよね。その頃『笑っていいとも!』の仕事はやってたのかな。『いいとも』や『松ごっつ』とかと並行してやってました。

©三宅史郎/文藝春秋

――『いいとも』は何曜日担当だったんですか?

小松 わりと木曜日が多かったですかね。火曜日とかもやりましたけど。

――木曜日というと(笑福亭)鶴瓶さん?

小松 そうですね。生放送は面白いですね。僕は大好きです。生はやっぱりアクシデントが面白いです。例えば、片桐はいりさんがテレフォンショッキングに大遅刻した事件。あの日は僕が担当してたんです。12時に番組が始まってもスタジオアルタに片桐さんが来てない。「どうする?」「連絡つかない、つかない」って。そういう状況の中で、番組が始まって、何分ぐらいかな? それなりに時間がたってから、ようやく「今飛び出します」っていう連絡が来る。「とにかく電車で来てください。そうしたら間に合うから」といって。僕、当時、はいりさんと道を挟んで隣のマンションに住んでいたから分かるんです、どの経路が一番早く到着できるかが(笑)。

――そうだったんですか!

小松 それで、カメラを外に出して待たせて。片桐さん到着の瞬間を放送したいですからね。でも来ない、来ない、来ない……、間に合うかなといって、ギリギリ間に合って。で、友達紹介したところで「チャ~ラッチャッチャ~♪」(笑)。

――そこで放送が終わって……。奇跡ですね。

小松 あと、マライア・キャリーのときが面白かったなあ。祭日だったんですけど、当時、祭日の『いいとも』は視聴率20パーセントがノルマだったんです。で、僕ら張り切って、マライア・キャリーをゲストに呼んだんです。そうしたら、前の日にレコード会社から電話がかかってきて、「マライアが行きたくないと言ってる」と。それで「分かりました。でも、もし僕らに対してちょっとでも悪いと思ってらっしゃるんでしたら、この電話はなかったことにしていただいて、明日かけてきてもらえませんか?」と返事したんです。

 そこから、マライア・キャリーのための豪華な楽屋を作ろうと美術に発注して。ソファーとかお花とか、七面鳥だとかも用意しました。で、演出を変えて、番組冒頭から「今日はマライア・キャリーさんがいらっしゃいます!」って盛り上げる。レッドカーペット敷いて、「楽屋もこのようになっております」とかやって。で、来ない、来ない、っていうのをずっと実況して、番組の最後のほうで向こうから「本当に申し訳ありません。行きたくないと言っております」ってスタジオに電話がかかってくる。それをタモリさんが「さようでございますか」って受けて、「どうせそんなことだろうと思ったよ」で終わる(笑)。でも、それで20何パーセントぐらい、すごい数字がよかったんです。あれはやってて面白かったですね。

©橋本篤/文藝春秋

「タモリさんの『いいよ、もう。何とかするからさ』に救われた」

――マライア・キャリーが来ないことはタモリさんに伝えないでいたんですか?

小松 タモリさんには言わないですけど、そこは阿吽の呼吸で、途中からだんだん「そういうことだろう」って。タモさんは本当にすごいですよ。どんなことでも対応していただける。はじめて僕が『いいとも』の演出をするとき、本番前にタモリさんと楽屋で一緒だったんですけど、タモリさん「いいよ、もう。何とかするからさ。大丈夫。CM行くタイミング入れられなかったら俺が『CM』って言うから」って。そんな感じの人です。素人さんに番組に出ていただくときは、リハーサルでADの僕らが皆さんをイジって、面白いところを引き出すんです。それをタモリさんは見てるんですけど、絶対に本番でそこはイジらないんですよね。違うとこをイジる。で、そのほうがウケるからまた腹立つ(笑)。本当にすごい人ですよ。

 だから、『いいとも』もいろいろなタイミングでいろんなふうに変化していきましたけど、僕は片岡(飛鳥・『めちゃイケ』などを手がけるフジテレビのプロデューサー・演出家)とかと一緒に「『いいとも』を若手でやるんだ」といってやり始めた時期は、事件性を大切にしていました。生中継でお届けするに値する出来事をそこで起こせているかっていうスタンス。幸せな時代だったと思います。

――片岡さんとは一緒に番組をやったことはあるんですか?

小松 何度かありますよ。全く相容れませんけどね(笑)。人間的には、慕ってるし、僕にとっては本当に兄みたいな人で、いろいろお互い支え合っていた……と、僕は思ってます。でもバラエティの作り方は全然違います。あの人は、僕が入った時の『いいとも』の先輩ADで、主に吉田正樹さん(フジテレビ時代に『笑う犬の生活』などのプロデューサーを務めた。現・ワタナベエンターテインメント会長)と一緒にやっていましたね。吉田、星野(淳一郎・フリーのディレクター、演出家)というのがコンビで、そこに片岡飛鳥とか、今僕が共テレ(共同テレビ)で一緒にやってる栗原美和子とかいて。片岡は僕にとってはADの2期上の先輩です。だから、AD仲間として同じ釜の飯を食った意識はありますよ。あの人のモットーは「しんどいけど楽しく過ごす」。当時フジテレビの制作部は3階で、僕ら4階にいたんです。建て増しした変なプレハブみたいなところに。夜中の3時くらいに、そこから地下の食堂まで誰が一番早く行って帰ってこれるかっていう競争とかやってました(笑)。報道のフロアとか、廊下を全力で俺らが走っていく。みんなが何事かと驚くという意味の分からないことを夜中にやって。そういう楽しい日々を過ごしてました。