ヒチョリの両親に教わった「選手のご家族の真情」
お父さんお母さんの人柄がまた素晴らしかった。負けて凹んでるときも大勝してウヒョウヒョのときも、いつも温かく受けとめてくれる。肉も安くて旨い。よく食べたのはカルビやなんかをサンチュで巻いたやつ。豆腐の上に辛味噌がのってるやつ。チヂミ。豚の三枚肉。あとはクッパの類い。あ、それから1階の喫茶店からチョコレートパフェを取ってもらったり。僕は「絵理花」がなくなってから、あんまり焼肉自体を食べなくなった。だって毎日行ってたもんな。もう一生分食べた気がする。
ヒチョリのお父さんお母さんに教わったのは「選手のご家族の真情」だなぁ。ヒチョリは最初、肩を壊していて1年間、鎌ヶ谷でバットボーイをしていた。2軍で試合に出るようになってからも「1軍の壁」はなかなか厚くて、何度も挑戦してはドーンとはね返されていた。やっと1軍にお呼びがかかってからは守備固め要員だ。僕らは「おお、ヒチョリが守備についた!」と大騒ぎする。うっかり最終回、1打席まわって来ようもんなら皆、大声援だ。アレですね、親御さんは黙っちゃうんですよ。あまりにも緊張して。さっきまで気楽そうにやってたお父さんが無口になっちゃう。
バントひとつ決めるために祈るのだ。四球ひとつ選ぶために息を詰める。僕もいつしかそういう感じに変わっていく。これは「親戚目線」と呼んでいた。ヒチョリの親戚のつもりになって、その成長を見守る。ニュアンスとしたら「大リーグ挑戦の日本人選手を見つめるNHK-BS中継」の目線に近い。僕はここにも順位や勝敗を超えた野球の見方があるなぁと思った。
やがて球団は北海道へ移転し、ヒチョリはスター選手になった。「絵理花」へ北海道のファンがやって来るようになる。レジの横に三井ゴールデン・グラブ賞の金のグローブが飾られた。2006年日本一の直後は入口で覗いても満員で入れなかったりした。それでもお父さんお母さんの姿勢は変わらなかった。古手のファンも新しいファンも分け隔てなし。まっすぐ向き合い、楽しく野球の話に花を咲かせる。やがてヒチョリがベイスターズに移籍し、ライオンズへ移籍してもそれは変わらなかった。
ひとつ面白い情報。ベイスターズの山﨑康晃投手は荒川区出身で、ヒチョリに憧れて帝京へ進学した。親どうしが仲良くて、よく「絵理花」に相談に見えていたのを覚えている。ヒチョリがベイスターズのユニホームを着ることになり、「絵理花」に横浜ファン(まだDeNAではなかった)がドッと来ていたが、あの時期、後の山﨑康晃が店内にいたのだ。偶然、隣り合った席に座っていたかもしれない。もちろん僕は断然、山﨑康晃ファンである。少なくとも「親戚のご近所目線」くらいには十分なっている。
ファイターズの10連敗も山﨑康晃の配置転換も、あの店の空気のなかで語ってみたかった。お父さんお母さんはどんな顔をしただろう。野球客はどんな声を上げただろう。「お父さん、今日は鎌ヶ谷で早慶満塁被弾でしたよ、これはハネますよ」と言いたかった。で、カルビクッパを注文したかった。
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