いまから5年前のきょう、2012(平成24)年5月22日、東京都墨田区押上(おしあげ)に東京スカイツリーが開業した。その高さは旧国名の「武蔵」にちなんで634メートルと、自立鉄塔としては世界一を誇る。スカイツリーの建つエリアは「東京スカイツリータウン」と名づけられ、商業施設「東京ソラマチ」、オフィスビル「東京スカイツリーイーストタワー」のほか、水族館やプラネタリウムも同時開業した。
東京スカイツリータウンの敷地には、もともと東武鉄道の貨物基地があった。最寄の東武伊勢崎線の「とうきょうスカイツリー駅」は、スカイツリーの開業にともない従来の「業平橋(なりひらばし)駅」より改称、路線の通称も「東武スカイツリーライン」と改められた。業平橋は付近を流れる隅田川の近くの大横川に架かる橋で、その名は平安時代の歌人・在原業平が当地を訪ねたという故事に由来する。それだけに駅名改称に対しては反対の声もあった。ただし、同駅は最初から業平橋駅だったわけではない。1902(明治35)年の開業時には「吾妻橋駅」であり、その後、一時閉鎖を挟んで営業再開した1910年には「浅草駅」となった。業平橋駅と改称されたのは1931(昭和6)年、隅田川対岸に現在の浅草駅が開業したときである。
かつては東武鉄道の本社も置かれ、同社の旅客・貨物の中心拠点であった土地が、21世紀に入って、地上波デジタル放送などの電波を送信する塔を中心に新たな街へと生まれ変わった。2014年には東京スカイツリーイーストタワー内に、千代田区大手町にあった逓信総合博物館が移転し、郵便・通信の歴史を展示する「郵政博物館」として新たに開館している。
ちなみに『伊勢物語』において、在原業平は隅田川で舟に乗りながら「名にしおはば いざ言問(ことと)はむみやこどり わが思ふ人はありやなしやと」と、空を飛ぶみやこどり(ゆりかもめ)に、京都に残してきた愛する人の消息を訊ねる歌を詠んだと伝えられる。遠く離れた人に思いをはせることは、いくら時代が流れても変わりはない。業平がこの歌を詠んだとされる土地に、鉄道・放送・郵便と人々を結びつけるメディアに関する施設が集まったことに何やら因縁めいたものを感じてしまう。