いまから40年前のきょう、1977年5月27日、イギリスのパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズの2枚目のシングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」がリリースされた。
セックス・ピストルズは75年、ジョニー・ロットン、スティーブ・ジョーンズ、グレン・マトロック、ポール・クックによって結成され、翌76年11月、EMIからリリースしたシングル「アナーキー・イン・ザ・U.K.」でレコードデビューした。しかしその過激な歌詞が問題となり放送禁止となる。これをきっかけにピストルズはEMIとの契約を破棄、その後77年3月にはA&Mレコードと契約を結ぶも、数週間でやはり破棄。この間にベースのマトロックがグループを脱退し、代わってシド・ビシャスが加入した。A&Mからリリース予定だった「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」は、ヴァージン・レコードと新たに契約を結び、ようやく発売にいたった。
ストライキの頻発、インフレと失業率の上昇から、すっかり閉塞した当時のイギリス社会にあって、ピストルズは挑発的な言動により、ロンドン・パンクの象徴的存在となった。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」は大胆にもイギリス国歌と同じ題名を掲げ、曲中では「ノー・フューチャー(お先真っ暗)」のフレーズが繰り返された。レコードは1週間で15万枚のセールスを記録する一方、またしても放送禁止の憂き目に遭う。発売の翌月、6月7日には、エリザベス女王の戴冠25周年を祝う式典にあわせ、ピストルズはテムズ川に浮かべた船の上でこの曲を大音量で演奏し、マネージャーらが警察に逮捕される騒ぎとなった。
時代は下り、2012年に開催されたロンドンオリンピックでは、開会式の冒頭にスタジアムで流されたビデオで、BGMに「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」が使われた。曲のあと、カメラはそのままテムズ河畔にパンしたが、ジョニー・ロットン(78年脱退以降、本名のジョン・ライドンで活動)いわく、これはかつてピストルズが警察沙汰になった一件を示唆していたとか(ジョン・ライドン『ジョン・ライドン新自伝 怒りはエナジー』田村亜紀訳、シンコーミュージック・エンタテイメント)。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を開会式で流すことは、主催者から出演の打診を受けたピストルズ側が逆に提案したものだったという。これに主催者側は、開会式には女王も臨席することから当初難色を示したが、ライドンらは突っぱね、実現させたのである。
余談ながら昨年11月、イギリスのある下院議員が公共放送のBBCに対し、一日の終わりに国歌をかけるよう提案したが、BBCのニュース番組『ニュースナイト』はこのリクエストに応じて、ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を流すことで話題を呼んだ。