いまから50年前のきょう、1967(昭和42)年6月9日、時の首相・佐藤栄作は、国会周辺デモ許可を認める東京地方裁判所の決定に対し、異議申し立てを行なった。
事の発端は、憲法擁護国民連合と同都民連合が、日本国憲法施行20周年を記念する「国民大行進」を、6月10日に東京都内で実施するため、東京都公安委員会に集会・デモの許可を申請したことだ(5日)。予定では、行進コースの一部が国会周辺を通ることになっていた。これに対して都公安委は「国会開会中における、国会周辺での集団示威行動は審議の妨げになる」との方針に従い、コースを変更のうえ、駆け足の禁止などの条件をつけて許可した。しかし、行進の主催者は、「デモの許可に条件をつけるのは、表現の自由を認める憲法に違反する」として、コース変更処分の取り消しと許可条件の執行停止を求める訴えを東京地裁に起こす(8日)。
東京地裁は起訴の翌日、9日午後9時すぎ、「デモは国会での審議を妨げるものではない」として、主催者側の申し立ては正当と認める決定を下した。だが、これに佐藤首相がすぐさま異議を申し立て、地裁は10日早朝には先の決定を取り消すにいたった。結局、この日予定されていた行進は、都公安委の条件にしたがい、コースから国会周辺を外して実施されている。
じつは1950年に東京都公安条例が制定されて以来、国会開会中の国会周辺でのデモは、メーデーをのぞいては現在にいたるまで認められていない。たしかに、1960年の安保闘争をはじめ、国会周辺ではたびたびデモが行なわれてきたが、いずれも形式上は、憲法の許す請願権にもとづき、国会議員への請願行動を行なう条件で認められた「請願行進」である。
ましてや佐藤政権のこの時期は、来たる1970年に日米安保条約の改定を控え、反対運動の激化が予想されていた。首相の異議申し立ては、それに対してあらかじめ先手を打ったのだともいえる。思えば、事を荒立てないよう事前に手を打つというのは、佐藤が7年8カ月にわたり政権を維持しえた理由のひとつかもしれない。70年の安保改定で、国会の審議を経ないで自動延長という策をとったのは、その最たるものであった。同じく長期政権をめざす現在の安倍首相もまた、ここ最近のさまざまな問題への対処のしかたを見ていると、母方の大叔父である佐藤のこうした術に倣ったのではないかと、つい考えてしまう。