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ヤクルト三輪正義、引退セレモニーの後にあった“最後の試合”

文春野球コラム ウィンターリーグ2019

2020/01/23

 いくつもの偶然が重なって実現した引退セレモニーだった。土砂降りの中、一人でスピーチする三輪正義には、何だか罰ゲーム感すらあった。自分から「行ってきます」と走り出し、チームメイトと家族とファンに見守られながら、代名詞のヘッドスライディング。中止でもなく、小雨でもなく。あの雨の奇跡のさじ加減がなければ、あんなに笑顔に溢れたセレモニーはなかった。後に本人が「あんなの50年に一度。もうなかなかない」と言っていたが、50年経ってもこんなにみんなが大笑いする引退セレモニーは出てきそうにない。しかも、それはまだ三輪のファイナルエピソードではなかったのだ。

戸田球場の名物「三輪ちゃんのバント塾」

 翌9月23日。戸田球場。三輪正義は笑っていた。「俺やっぱり丈夫だな!」。前夜に雨の中を走らされ、ヘッドスライディングをしまくって。びしょ濡れになって。その後もきっと夜遅くまで取材や挨拶や付き合いがあっただろう。それでも次の日、彼は元気に朝から戸田にいた。雨も上がり、穏やかな試合前練習風景。いつものように三輪はバント練習をしにやって来る。「よく教わっとけよ!」。コーチが若手に声をかける。

 戸田球場のバント練習場所は、鉄扉のすぐ内側で、扉越しにファンがその様子を間近で見ることが出来る。シャッター音も絶えない。選手は気になるかもしれないが、満員の観衆の前でバントをするプレッシャーを考えたら、それぐらいは乗り越えてしかるべきだろう。

©HISATO

 中でも三輪のバント練習は見応えがある。自分でやって見せたり若手に対してアドバイスするその姿は、ファンから「三輪ちゃんのバント塾」と言われてきた。わざわざ教わりに来る若手もいて、この年も濱田太貴や松本友、吉田大成らとの練習は印象的だった。

 三輪の一つひとつの言葉を聞いていると、ポイントを明確に指摘する力と、それを分かりやすく言語化する力に驚く。

「打つ時も1、2、3ってタイミングとるだろ? バントもそう」
「やるのは手じゃなくて、体」
「足すぐ動かすな」

 訊かれなくても、傍にいれば気付いたことをアドバイスする。

「失敗しろ失敗しろ。考えろ」。きっと三輪もたくさん失敗した。そうして、考えて考えて練習したのだろう。「これは俺の編み出した技。ちょっとした技術」。コツを教わりみるみるうちに上手くなった選手もいる。しかしそれを技術に高められるほど、練習した選手はいただろうか。どれだけの人が、それほどまでにバントに打ち込むだろう。

©HISATO

「どこにどう当たるとどういう打球になるか、その感覚が分からない子が多いんでしょうね」。どこにどう当たるとどういう打球になるか、その感覚を掴むまで練習したのが、きっと三輪という選手だった。それでも「バントは怖い」。そう言っていたこともある。誰もがバントをすると思い、守備がバントをさせまいとして備える中で、バントをして成功させなければならない。そのプレッシャーは計り知れない。それでも成功させ、時には自らも生きる。怖さを乗り越えるためにはやはり、練習しかないのだろう。