わさびはいつまでも、いつまでもさくらの亡骸の脇を離れようとしない。
ずっと一緒に暮らしていた、姉妹のわさびがさくらの傍らを離れず、ずっとさくらを舐めてやっているので、猫なりに状況が分かっているのだろうと思った。わさびは、茶白の美しいさくらと違って、サビ柄の愛嬌のあるさっぱり美人である。家内と結婚する前の同棲中に「猫が欲しいね」といっているうちに、フワッと天から降ってくるようにやってきた、さくらとわさび。十年の時を経て、さくらはそっと天に帰っていってしまった。わさびを置いて。わさびはいつまでも、いつまでもさくらの亡骸の脇を離れようとしない。大事に抱きかかえてペット葬用の箱に入れられ、さくらが拙宅を去ってからも、わさびはずっとさくらが死んだベランダから家に入ってこようとしなかった。生まれたときからの相棒なのだから、文字通り半身をもぎ取られたかのような悲しい気持ちなのだろう。
拙宅の子供たちの遊び相手になったのはもっぱら気さくなわさびのほうで、気高いさくらは騒ぎ立てる倅たちの姿を居間で見かけると、あら、しょうがないわねとばかりに「にゃおん」と言って、高い箪笥の上やベランダでじっと部屋の様子を見ながらうたた寝するのが日課であった。倅たちが学校に行くのを見届けて、我が物顔で柔らかいソファを独占しながら優雅にノビているさくらを見つつ、楽なもんだなあとスーツに着替える日々は、もう来ない。
家内は家内で塞ぎ込んでいたが、わさびが悲しそうな声を出してやって来ると撫でてやりながら、慌ただしい家事をせっせとこなして気を紛らわせているようだった。
さくらとは「天敵」だった、チワワのさん太も、吠えることもなく自分の小屋でじっとしている。普段は小動物同士の抗争に明け暮れ、猫姉妹に居場所を奪われることの多かったさん太だが、さくらが死んだときだけは普段飛び越えることのない膝ほどの高さの柵を超えて、家人のもとへ異常を知らせにいったというから世の中分からない。小動物なりに、みんな身近な存在の死について、各々の暮らしの中で何かを思い、弁(わきま)えることはあるのだろうか。
私も悲しかったが子供たちの落ち込みようも凄かった。
さくらが死んで、私も悲しかったが子供たちの落ち込みようも凄かった。彼らにも身近なものの「死」を経験したことはいままでたくさんあった。飼っていた金魚たち、小さなカニ、山で取ってきたカブトムシやクワガタ、幼稚園の前で見つけたおたまじゃくし、マンションの前でたくさん飛んでいたのを虫かごに入れたカナブン……申し訳ないけど、みんな死んだ。海に行って小魚を浜辺で捕って、持って帰りたいと言われて、駄目だよ死んじゃうよと言っても駄々をこねられてしょうがなく連れて帰って、一日と経たず全部死ぬとか。まあ、子供と飼育物の関係はそんなものだと自分の経験を思い返しながら思いつつも、命を預かることの大事さをもう少し子供たちに知ってもらいたくて、いろんなものを飼ってきた。でもちょっと目を離したすきに、生き物は駄目になってしまう運命なのである。そう割り切らざるを得ない。
ただ、さくらは違った。家族みんなで暮らしてきたからだ。この三兄弟が生まれる前から、私たちが入籍する前から、ずっと拙宅を見守り続けてきたのがさくらだったのである。いて当然、と思って可愛がってきたペットが、すっとその姿を消したとき、やはり子供なりに喪失感は持つのだろう。
それでも学校に行くと元気になるし、宿題を見るとげんなりするのが子供である。一週間が経ち、二週間を超えるころには、さくらのいない生活にも慣れた。ように見えた。