今年、2017年は歌手の美空ひばりの生誕80年ということで、雑誌やテレビで特集が組まれたほか、4月には東京ドームで、五木ひろしや氷川きよし、AKB48、きゃりーぱみゅぱみゅなど多彩なアーティストが出演してトリビュートライブも開催されている。そのひばりが亡くなったのは、いまから28年前のきょう、1989(平成元)年6月24日のことだった。

 1987(昭和62)年に両側大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎で緊急入院したひばりは、翌88年4月には完成まもない東京ドームで「不死鳥コンサート」を開催し復活をアピールする。だが、平成改元から2ヵ月後の89年3月に再入院。これを前に彼女は「平成の我、荒海にながれつき、命の歌よ穏やかに」と詠んだというが(竹中労『増補 美空ひばり』朝日文庫)、すでに自分の運命を予感していたのだろうか。

 亡くなったその日、訃報が流れてからというもの、東京都内のひばり邸の前には深夜になってもファンの足が絶えなかった。翌25日の通夜も同様で、午後9時をすぎても1000人以上が帰ろうとしなかったため、遺族側は当初一般からは断っていた弔問を急遽玄関口で受け付けた。26日の密葬では、霊柩車が自宅から出るのを6000人のファンが見送っている。本葬は7月22日、青山葬儀所で行なわれ、このときは40、50代の女性ファンを中心に一般から4万2000人が参列した。

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 美空ひばりの亡くなる9年前、1980年にTBSテレビが歌謡曲ベスト1000曲を調査したとき、ベスト10に彼女の曲は一曲も入らなかった(最高は「リンゴ追分」の34位)。これに対し1989年末にNHKが調査した「昭和の歌・心に残るベスト200曲」では、3位に「リンゴ追分」、5位に「悲しい酒」、6位に「柔」とベスト10に3曲が入る(平岡正明『美空ひばりの芸術』ネスコ)。ひばりは、昭和の終焉からまもなくして亡くなったこともあり、昭和を代表する歌手としてその地位を揺るぎないものにしたのだ。

昭和を代表する歌手 美空ひばり ©共同通信社