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交渉に「十対〇」の押し付けはない

 くり返しになるが、憲法を単なるルールだとするには私も抵抗がある。戦争の放棄など、国柄を決めるといった部分は憲法のプリンシプルでもあり、簡単にいじくり回せるシロモノではないだろう。しかし、改正条件のような部分はルールに違いあるまい。現行憲法には、こうした細則的な条文もあるので、ここは憲法をルールと考えて論じるのも面白い視点と考え、筆を進めることにしたい。

 さて、日本国憲法を論じる場合、まず耳にする意見は、これが当時のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の押しつけであるとするものであろう。押しつけというと、「これでやれ」「はい、わかりました」という展開を連想してしまうし、そんな(押しつけ)憲法なら、自分たちで作りなおすべきだということにもなる。

 しかし、私のようなビジネスパーソンの目から見ると、交渉にまったくの押しつけということはあり得ない。どんなに相手が強大でも、否、相手が強大であるからこそ、弱者は様々な工夫を凝らし、交渉を少しでも有利に運ぼうとするものだ。相手の状況や立場を探りに探って弱点を見出し、それを梃子に不利の挽回に努めるというのが交渉のテクニックである。従って、どんな交渉も、五分五分とか、八対二とかいった状況にあるのが常で、十対〇、つまりまったくの押しつけというのはあり得ないのだ。

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 終戦直後の憲法を巡る“交渉”にしても、もちろん相手有利に間違いはない。しかし相手、つまりGHQにも弱点はあるようで、俯瞰すれば九対一で先方有利という辺りではないだろうか。押しつけか否かという黒白論は、交渉の経験を積んだ人になら「そんなに単純な話じゃないだろう」と思えるはずである。弱者は弱者なりに何らかの手を講じるのが練達のビジネスパーソンであり、政治家も外交官も同じだろう。「これでやれ」と言われたから、「はい、わかりました」と応えたのが当時の日本政府だと言っては、先達に礼を欠くことにもならないだろうか。

 さらに、その先達もただ者ではないのだ。日本側は吉田茂外相、松本烝治国務相、白洲次郎終戦連絡中央事務局参与という布陣(肩書きは憲法交渉開始時のもの)。ワンマンではあるが、独立に向けたビジョンを持った吉田、難戦に最適な“鈍感力”が抜群で、法律家としての矜持を持つ松本、ビジネスパーソン上がりで、クールに落としどころを見据える白洲。一癖ありそうな人物が集まり、修羅場のコマ揃えとしては悪くない。

 GHQ側はどうか。こちらもほぼ三人。まず、トップのマッカーサー元帥。好悪の情、双方を抱く知日家であり、吉田同様、占領政策に確固たる考えを持っている。高慢だが、当時の米国では有数の人材だろう。第一の部下が民政局長のホイットニー准将。野戦司令官ではなく、能吏タイプの法律家。マッカーサーの傀儡のような人物である。上司の意向が第一で、法律家として松本ほどの持論はない。そして、その部下が実務を取り仕切るケーディス大佐。彼も現場の指揮官ではなく、軍政家である。キレもので、ニューディール政策の信奉者。社会主義が香る理念が常に先行する。理念と現場の調和に長けた白洲とは水と油だろう。

 日米合わせて、現在の憲法の制定過程に最も深く関わったのはこの六人だが、戦力分析をすると、トップを互角としても、スタッフは日本側に実力派が揃っているようだ。

 一九四六年二月十三日、マッカーサーを除くこのうちの五人は、GHQ側がいきなり憲法草案を突きつけるという、日本側が思いも寄らない形で激突する。日本の三人はこの事態に驚きはしても、「はい、わかりました」と言って引き下がるような玉ではない。弱者の知恵を絞りに絞って、ここからルールメイキングに関わる交渉を開始する。

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