1ページ目から読む
3/3ページ目

日米双方の事情

 今度は日米両チームが置かれた状況を見てみよう。日本側は当初、三人が政府に先走る感じで交渉を始めるが、当時の幣原喜重郎内閣は、草案提示との報告を受けるやすぐに議論を開始する。交渉上のミスは歴史的な汚名につながるだろう。閣議は「他国の憲法まで作るなどとんでもない」と憤りつつも、「天皇陛下を守りたい」というところでは一枚岩になって防戦に努めようとする。

 一方、GHQ側はどうか。マッカーサーは「日本の憲法はこうあるべきだ」という、いわゆる「三原則」を基礎にしての方針を採るが、憲法草案を提示することについては、他の戦勝国は言うに及ばず、米本国の合意さえ得ていない。天皇の政治的価値を認め、「象徴」として草案に織り込んでいるが、ソ連や豪州にそんな考えはなく、米本国にも天皇の戦争責任を主張する人が少なからず存在した。さらに、戦勝国全体で構成する極東委員会の設置が前年末に決定しており、ここが機能し始めればGHQの独断専行は許されなくなるという状況である。

 つまり、憲法草案の提示などマッカーサーの独断というに近く、GHQは戦勝国はおろか、米本国さえ置き去りにして突っ走っている状況にある。それでも、彼らは上部機関である極東委員会が機能し始める前に、新憲法を基礎に日本を作り変えたかったのだろう。

ADVERTISEMENT

制約の中での攻防

 明治の外交官、小村寿太郎は「外交より内交の方が難しい」と言ったそうだが、GHQの三人はその内交に課題を抱えていた。だが外交では「天皇を守る」という点で日本側との利害が一致しており、結局、日本側に「お前ら、天皇を守りたいのだろう。それならソ連や豪州の出方を考えてみろ。この『象徴』案以外にやり方があるのか」という論理で日本側を誘い込む。ここで利害の一致を形成し、それを梃子に、草案全体の合意を取ってしまうのである。変な見方だが、今の憲法は限られた時間の中で“日米六人”が共謀した結果の産物なのかも知れない。私が経験したビジネス交渉でも、交渉担当同士が先に合意して、それぞれが合意案を持ち帰り、社の説得に努めるというケースも少なくなかった。

 一九四六年三月六日、前述の六人を中心に交渉を重ねた憲法草案が、形の上では日本が自主的に定めた『憲法改正草案要綱』として公表される。当然、前述の極東委員会からの抗議があるが、一先ず、それもこの後に続く日本の議会審議を注視する形に収まる。

 その後、この憲法案は枢密院や、議会での審議にかけられるのだが、四月から十月に至る間の真摯な論戦も注目に値するだろう。芦田均による修正や、「文民」という言葉が造語されるなど、様々な意見が開陳されたことはご存知の通りである。

 かくして十一月三日に今日の憲法は公布を見る。「これでやれ」といった押しつけと、「はい、わかりました」という単純な妥協の産物でないことは充分にご理解をいただけたものと思う。GHQの“内交”までは見透かせなかった日本側だが、懸命な防戦には敬意を払いたい。立場上有利なGHQにしても、四面楚歌に近い状況の中、むしろ日本側を味方につけて、老獪な交渉を行った嫌いがある。くり返すが、ビジネスでも外交でも、交渉というのは当事者が内外に複雑な事情を抱え、その制約の中で利害を衝突させる場だ。そして、ルールというのはそうした攻防の産物であり、日本国憲法といえども、その範疇を大きくはずれたものではないだろう。

憲法を「守り」、「作る」

 こんな話をすると「あなたは改憲論者か」とよく聞かれるのだが、これも押しつけか否かの黒白論議と同じで、人の考えというのはそれほど単純に割り切れるものではない。

 ここまで述べた通り、現行憲法も含め、ルールとは人間の決め事であり、関係者の利害が調整された結果である。白黒ではなく、常にグレイであり、誤解を恐れずに言えば、ルールとは“そんなもの”であるということだ。ルールが現実に合っているか、環境の変化に対応できているか。要は、ルールを守りつつも、“そんなもの”であるという視座で、ルールの目的や有用性を常に考えるという姿勢が肝心であろう。

 日本人にとって憲法は「守る」ものであり、「作る」ものではないとはならないはずだ。「その憲法は誰が作るのか」という質問の答えを、政治家や官僚に限定してしまう必要も、もちろんない。ソーセージ作りと同じく、自ら臓器に触れ、不要な部分を取り払い、洗浄し、さらにそれを臓器に詰め込むようなプロセスに踏み込む意気込みこそが必要である。

 ビジネスパーソンとしての経験に浸りすぎているのかも知れないが、やはり大切な憲法を神棚に祭り上げるようなことはしたくない。ルールについて考えるように、憲法を「守り」、そして「作る」一人でありたいと思うのである。