冷戦終結と民主化は何をもたらしたか
この様に見ると、今日に至るまでの日韓関係の悪化を齎している主要な要因が、韓国にとっての日韓関係に伴う利益の減少にある事がわかる。そして、更に付け加えなければならない事が幾つかある。一つは、冷戦終結後の安全保障関係の変化である。朝鮮戦争に米中両国が直接参戦した事に表われている様に、冷戦下における韓国は、北朝鮮のみならず、その背後に存在する中ソ両国の巨大な軍事的脅威に晒されていた。だからこそ、韓国は自らの国家と体制を維持する為に、同盟国であるアメリカとその主要な基地を有する日本との関係に配慮しなければならなかった。だが、冷戦崩壊による北朝鮮と中露両国との軍事的同盟関係の事実上の崩壊は、この様な韓国の安全保障上の脅威を大きく削減する事になった。
当然、この様な安全保障上の環境変化は、韓国にとっての日本の重要性を、安全保障面でも大きく損なう事になった。そしてここに更に、八〇年代における韓国の大きな変化、即ち、民主化が作用する。過度の単純化を承知で言うなら、八七年の民主化以前の韓国は、朴正煕(パクチョンヒ)や全斗煥(チョンドファン)により指導される権威主義的な体制であり、それ故、彼らには世論に大きな配慮をする必要は存在しなかった。権威主義政権時代の政治エリートにとって、世論とは政府がこれに従うべきものではなく、寧(むし)ろ、世論の側こそが国益を体現する政府に従うべき存在であると看做されていたからである。
しかし、民主化以後の韓国政府には同様の事は不可能になった。そこで彼らが政権を獲得し、自らの望む政策を実行する為には世論の一定以上の支持が不可欠であったからである。加えて、民主化以後に採用された韓国の大統領制はその任期を一期五年に限っており、再任の道を閉ざされた歴代大統領はその政権末期には深刻なレイムダック化を経験する事となった。
結果、韓国においては、末期に差し掛かった政権が世論に押される形で歴史認識問題や領土問題で強硬姿勢に転じる、という事が繰り返される事となった。例えば、今日の日韓関係において最も重要な問題となっている従軍慰安婦問題を巡り韓国政府が公式に「補償に代わる措置」を要求するに至った九二年初頭は、民主化後、最初の政権である盧泰愚(ノテウ)政権の末期に当たっている。当時の盧泰愚政権は、韓国経済最大のアキレス腱である経常収支赤字の大半を占める対日貿易赤字の解消を求める世論からの深刻な突き上げに直面しており、日本政府に技術移転等を求める交渉を行なっていた。しかし、この交渉は日本側の拒絶により失敗し、盧泰愚政権は窮地に陥っていた。この様な中、同政権は、『朝日新聞』の「慰安所 軍関与示す資料」という報道により注目を浴びていた従軍慰安婦問題を利用して、日韓間の懸案を経済問題から歴史認識問題に転換する事に成功する。政権への世論の批判をかわす為に、歴史認識問題を利用した典型的な事例である。
強硬姿勢の理由
こうして見ると明らかなのは、今日の日韓間の歴史認識問題の激化は、単なる一時的な現象ではなく、韓国の経済発展や冷戦終結、更にはグローバル化や民主化といった、より大きなこの地域の構造的変化の産物だ、という事である。嘗て、日韓両国の国力に大きな差があった時代には、その関係は韓国が一方的に日本に依存する垂直的なものであった。それ故、韓国エリートは日韓関係に最大の配慮を行い、歴史認識問題や領土問題が悪化しない様に努めてきた。
だが、現在では両国の国力は大きく接近し、韓国の日本への依存度は嘗てとは比べものにならない程小さくなっている。だからこそ、今日の状況においては、一旦勃発した両国間の紛争を止める為に真剣に努力する人は極めて少数になっている。水平的になった関係の中で、韓国の人々は嘗て上げられなかった、歴史認識問題や領土問題への不満の声を、日本に直接的にぶつける様になっている。
重要なのは、それが構造的変化の産物である限り、日韓関係のあり方が過去に向かって逆転する可能性はない、という事だ。言い換えるなら、どれだけ待っても韓国において、嘗ての様に日本に配慮してくれる政権ができる可能性は殆どない。この事を大前提にして、今後の日韓関係を考えていく事が重要だろう。