14歳の時に「海綿状血管腫」を発症し、左顔面と右半身に麻痺が残ったSHIBUKIさん。それまではモデルを目指していたSHIBUKIさんは自分の変わりように衝撃を受け、「暗黒期」を過ごしたという。

 その後、23歳で双子を出産。現在は子育てをしながら、自身の障害や家事・育児、大好きなメイクやファッションについて、等身大の姿をSNSで発信する。そんなSHIBUKIさんに、発症当日の様子から、障害を持って気付いたさまざまなことについて、話を聞いた。(全3回の2回目/つづきを読む

SHIBUKIさん

◆◆◆

ADVERTISEMENT

“JK”っていう世界で生きたかった

――中学3年生の時に「海綿状血管腫」の影響で脳出血となり、左顔面麻痺と右半身麻痺といった障害が残ったということで、高校生活にどんな影響が?

SHIBUKIさん(以下、SHIBUKI) 送迎は両親にしてもらって、校内では歩行器を使っていました。あと、外に出る時は杖や車いすも使って。

――SHIBUKIさんはJK(女子高生)になるのが憧れだったんですよね。

SHIBUKI そうだったんですけど、入学前は妄想ばっかりが膨らんでて、現実が見えていなかったんだと思い知らされましたね。

 右半身が麻痺しているから、教室を移動するのも体育で着替えるのも全部人より時間がかかるし、利き手じゃない左手で文字を書くから、制限時間のあるテストにも間に合わない。

 バイトもしたかったし放課後も友だちと遊びたかったけど、親に送迎をしてもらってるから、行きはもちろん、放課後もお迎えに来てもらって帰るだけ、という毎日でした。

――支援学級ではなく普通学級を選んだそうですね。

SHIBUKI 言い方は悪いかもしれないけど、健常者に負けたくなかったんです。だから、どんなに辛くても「絶対普通学級で卒業する」という気持ちで通ってました。

――辞めたら負けだと思っていた?

SHIBUKI もともとが健常者だから、そこに負けたくないって思ってたのかな。たぶん、その時は自分を受け入れきれてなかったんだと思います。

 

――障害者になった自分を受け入れられなかった?

SHIBUKI 「障害者に見られたくない」みたいな意識は全くなかったし、当時も今も胸を張って「障害者です」っていう感じなんですけど、“JK”っていう世界で生きたい、そこから脱落したくないっていう気持ちですね。もともと負けず嫌いなのもあるとは思うんですけど。