二〇一二年八月、韓国の李明博(イミョンバク)大統領が竹島に上陸した後、日韓両国間の政治関係は悪化の一途をたどっている。周知の様にこの状況は、第二次安倍政権と朴槿恵(パククネ)政権成立以後、更に深刻化し、両国は単独の首脳会談すら開催できない状況に至っている。しかし、この状況はどうして生まれたのだろうか。ここでは少し大きな歴史的観点からこの問題について考えてみる事としたい。

表1 『朝鮮日報』における日韓間の歴史認識問題や領土問題に関わる議論の推移
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 さて、この問題を考える上で第一に重要なのは、時に日韓両国で言われる様な「日韓両国は第二次世界大戦終結以後、一貫して歴史認識問題や領土問題で激しい対立を続けてきた」という理解は正しくない、という事である。例えば、表1は韓国で最大の発行部数を誇る、代表的な保守紙、『朝鮮日報』における両国間の歴史認識問題や領土問題に関わる議論の推移を整理したものである。この表から明らかな様に、第二次世界大戦以後の日韓両国間における歴史認識問題や領土問題に関わる議論は大きな変化を経験してきた。とりわけここで重要なのは、次の二つの点である。

歴史論争は九〇年代以降に激しくなった

 第一は、イシューの変化であり、我々が今日歴史認識問題や領土問題で重要視しているイシュー、つまり、従軍慰安婦問題や歴史教科書問題、竹島を巡る領土問題や靖国参拝、といった問題が、両国間においてクローズアップされたのは、実は一九八〇年代或いは九〇年代以降の事なのである。

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 第二は、歴史認識問題や領土問題に関わる議論の頻度そのものが、九〇年代以降、急増している、という事である。つまり、今日我々が直面する日韓関係の現実は、植民地支配終了後直ちに生まれたものではなく、八〇年代から九〇年代頃に生まれたものなのである。

 とはいえ、この様な状況は不思議にも思える。何故なら、通常の理解では、日韓間の歴史認識問題や領土問題に関わる両国の関係は、両国間の経済的、社会的交流が増加すれば緩和される筈だ、と理解されており、その交流が増加した時期こそが、この八〇年代から九〇年代以降だからである。だからこそ、人々は時に、この様な状況を「不可解」だと考え、その原因を政治指導者のイデオロギー的特性や、各々の「国民性」等、日韓両国の「特殊事情」で説明しようとする。

 しかし、この様な両国の「特殊事情」による説明には問題がある。政治指導者のイデオロギー的特性による説明に問題がある事は、九〇年代以降の両国で、複数回の政権交代が行われ、多くの政治家がトップの地位に就いたにも拘らず、状況に変化が見られない事から明らかであろう。同様に「国民性」による説明にも問題がある。何故なら、日韓両国間の紛争が両国の基礎的な「国民性」により齎(もたら)されているならば、表1の様な、トレンドの変化が起こる筈はないからである。

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