中央官庁からは、「あなたたちのようなヒト型ロボットを支援する枠組みは今のところ行政に無いので、前年に策定された介護用のロボットに対する補助金を申請してみてはどうか」と言われ、脱力しました。
官製ファンドや中央官庁が僕らの期待とは正反対の返答をしたことで、僕らの心に火がつきました。長い年月をかけ、日本全体に充満してしまった得体の知れない「場の空気」のようなもの、これに逆らっても無駄なのではないか。このまま日本にいたらダメだ、と踏ん切りがついたのです。
僕たちはアメリカに活路を見出すことにしました。色々な伝(つて)をたどって、ボストンとサンノゼのベンチャーキャピタルを中心に出資の打診をしていきました。さすがハイテクの中心地だけあって非常に反応がよく、会いたいと言ってくれるところが何社か出てきました。そのなかの一社が、グーグルだったのです。結果的に、そのことがシャフトの成功につながりました。
二〇一三年末、シャフトはDARPAの補助金を受ける条件だったヒト型ロボットの競技会に出場しました。シャフトはNASAやMITのチームを押えて、見事世界で一位となりました。シャフトが世界一の技術を持っていることが証明されたのです。
日本よりも世界の方が戦いやすい
アメリカには開拓者精神が今もあって、国全体が自分の手で次の産業を起こそうとしています。新しい産業を世界に先駆けて作ると、国全体が潤うからです。現に半導体、バイオテクノロジー、パソコン、インターネット、ソーシャルネットワークと、アメリカは次々と新しいドアを開けてきました。新しい産業を作りあげた成功体験が、次の産業も作れるという、ある意味、根拠のない自信に変わっていったのでしょう。こうして今日も次の新しいドアを開けるのは自分だ、という思い込みを抱いた自信満々の連中が、アメリカに集まってきます。それが、アメリカの強さです。
こんなことができているのは、世界中を見渡してもアメリカだけです。でも、日本は幾度かドアを開きかけたことがあります。だから、くやしいし、いつかできるはずだと強く思うのです。
コンピュータの頭脳であるマイクロプロセッサのドアを開けたのは、日本のビジコンという会社です。でも、資金が足りなくなって、インテルに販売権を売ってしまいました。ロボティクスにおいては、シャフトがビジコンだったのです。シャフトだって、名前は残らないかもしれませんが、この十年でヒト型ロボットを中心とした新しい産業が生まれれば、その入口を作ったのは、僕らだったと言い切れます。やがて名前は忘れ去られるかもしれませんが、爪痕は残したと思っています。それが僕たちの誇りなのです。
ロボティクス、バーチャルリアリティ、マテリアルなど、日本が世界でトップを走っている分野が、まだいくつか残っています。日本から世界で戦える技術が生まれた際に、それを自分の国で産業化できないのは大きな損失です。今、霞が関は日本のジョブズを見つけよう、などと言っていますが、見逃し三振を避ければいいだけのことです。世界で戦える技術が、日本にはまだ残っている。国を見渡せば、現金も余っています。では、何が足りないのか。圧倒的に足りないのは、技術とお金を結びつけて、ビジネスを作り出せるプロの経営者です。来る日も来る日も、事業の不確実性や人間の弱さと向き合い、志と勇気を持って捨て身で生きる人たち、国全体に責任を持とうとする真のエリートが、この国には圧倒的に少ないのです。
シャフトでの経験から、若者に言いたいことは、世界で戦える技術があるなら、早く日本を出ろ、ということです。今や誰にも負けない技術があれば、日本よりも世界の方が戦いやすい。日本なら成功の確率が千に三ぐらいしかないものでも、アメリカやヨーロッパに行けば、一〇倍、一〇〇倍の人たちが成功すると思います。外のルールは、内のルールと比べて、才能のある人に有利にできている。これまでは日本で成功したら海外へ、と考えるのが普通でしたが、これからは世界で勝てば、日本でも勝てるという時代になるでしょう。無限の可能性を秘めた技術が日本にはまだたくさん眠っています。