ナショナリズムに走らない、冷静な議論を
――集団的自衛権問題の解決は、憲法解釈の変更によるのではなく、憲法自体を改正すべきとの主張があります。解釈修正を「裏口入学」と揶揄する向きもあります。石破さん自身、憲法改正論者であり、防衛法制を抜本的に改正すべきと主張されてきました。自民党の「国家安全保障基本法案」も石破さんが取り纏めたと承知しております。
石破 正直に申し上げると、十数年前までは私も「集団的自衛権を認めるなら憲法改正が必要だ」と考えていました。しかし、佐瀬昌盛先生(防衛大学校名誉教授)の論文などに触発され、考えを深めていくようになりました。集団的自衛権が行使できないというのは、憲法のどこにも「行使してはいけない」と書いていない以上、あくまで憲法解釈としての制約に過ぎない。その場合の憲法解釈が正しいのであれば憲法を改正しなければなりませんが、もし解釈が間違っているなら、何も憲法を変える必要はない、そう思い始めたわけです。
当時、私は自民党を離れ、新進党の議員でした。私が自民党を離れた大きな理由の一つは、河野洋平総裁時代、憲法改正に向けた動きが止まったからです。次に所属した新進党を離れた大きな理由も、小沢一郎党首が「集団的自衛権は認めない」という公約を掲げたからです。これらの行動は、複数の政党を渡り歩いたと批判を浴びましたが、私の主張はなんら変わっていません。むしろ主張を曲げず筋を通そうとした結果、そうなったわけです。
そもそも、なぜ憲法九条の解釈として「集団的自衛権の行使は許されない」と言えるのか、それを論理的に説明できた人は誰もいません。国会でも合理的に透徹した説明をした人はいない。それは結局、合理的には説明できないからではないでしょうか。
日本国憲法は前文で「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と明記しています。その憲法の解釈として、「集団的自衛権はダメ」というのは、もはや「間違った解釈」として修正すべきではないでしょうか。
――自公は、武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」に対処するための法整備を先行させると報じられています。なぜ集団的自衛権より優先させるのでしょうか。
石破 より優先度が高い、ということです。現場を預かる幹部自衛官の間にも「急いでグレーゾーンの問題を解決してほしい」という声が少なくありません。最前線でその必要性を実感しているからでしょう。実際いつ「グレーゾーン事態」が起きても不思議ではありません。だから急ぐのです。ですが、集団的自衛権の議論を棚上げするつもりは毛頭ありません。
グレーゾーンの法整備、自衛隊の海外活動における法整備、集団的自衛権行使のための法整備――あるべき防衛法制の柱はこの三本立てとなるでしょう。その中で、まずは喫緊の法整備から始めるということです。もちろん、この全てにおいて与党として公明党との協議が必要ですが、公明党も長く与党にあり、責任ある政策を一緒に策定してきています。集団的自衛権の行使についても、丁寧かつ緻密な議論を積み重ねることにより、必ず結論を得て実現できると信じています。
できるだけ多くの政党の理解を
――一部「保守」陣営には「公明党との連立を解消し、憲法改正に突き進むべき」との意見もあります。
石破 それは政治の現実を踏まえない空理空論で、連立を解消したら憲法改正ができるわけでは全くありません。
――かつて福田恆存は、「保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではない」と書きました(「私の保守主義観」)。いまの一部「保守派」は「保守的な態度」を失っています。石破さんは新書の帯で「冷静な議論のために」と記しました。今こそ「冷静な議論」が必要ですね。
石破 政治はイデオロギーではなく現実です。先日の沖縄市長選も含め、着実に一つ一つの選挙を勝たなければ安倍政権を維持できません。その意味でも公明党との協力関係は重要です。
――ナショナリズムではなく、リアリズムということですね。現実問題、公明党の理解は得られるのでしょうか。
石破 かつての自衛隊PKO派遣から始まり、有事法制も、テロ特措法も、イラク特措法も、すべて公明党と時間をかけて議論しながら整備してきました。長い連立を経た両党間には、そうした実績と信頼関係があります。公明党との協議はまた、国民に対する透明性の高い議論プロセスでもあると思っています。
民主党にも集団的自衛権の重要性を理解している議員が多数います。「日本維新の会」や「みんなの党」にも理解者が少なくありません。重要な問題であるからこそ、できるだけ多くの政党に理解してほしい、一人でも多くの議員に賛成してほしい。心からそう願います。
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